被爆71年ナガサキ 形見は語る 原爆が奪った命の声 5

床の間に飾っている姉喜代子さんの定期券の写真(右)と、原爆で亡くなった後、遺影に使った写真=長与町高田郷の自宅

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被爆71年ナガサキ 形見は語る 原爆が奪った命の声 5 定期券の写真 優しい姉 今も一緒

2016/07/26 掲載

被爆71年ナガサキ 形見は語る 原爆が奪った命の声 5

床の間に飾っている姉喜代子さんの定期券の写真(右)と、原爆で亡くなった後、遺影に使った写真=長与町高田郷の自宅

定期券の写真 優しい姉 今も一緒

 終戦間際の国鉄長与駅は、大野志路(しろう)(84)=西彼長与町高田郷=にとって思い出深い地だ。当時13歳。学徒動員先の諫早駅から帰る途中、ここで列車を降り、駅員だった1歳上の姉喜代子の仕事が終わるのを待って、2人で家路についた。「きょうもきつかったね」。物静かな姉だったので、交わす言葉は少なかったが、それがゆえにほっとした気持ちになれる時間だった。

 大野家は、両親と、きょうだい10人の大家族。戦時中、志路の兄3人は兵隊で家にいなかった。年長は喜代子だけで、志路が両親に叱られたときはかばってくれた。そんな優しさが、志路が大切にしている写真の表情からにじみ出る。しかし、戦後50年がたつまで、この写真が志路の目に触れることはなかった。

 71年前の8月9日。志路は仕事で長崎駅から浦上駅の方に軌道上を歩いていた。突然、真っ赤な煙に全身が包まれたかと思うと、気を失った。目が覚めると、右半身にやけどを負っていた。竹のかごで自宅に運び込まれてからは寝たきりに。傷口にうじ虫がわき、あまりの激痛に「死ぬけん、包丁ばくれ」と母ヌイに叫んだこともあった。

 ある日、兵隊から戻っていた兄で三男の実が「喜代子ば連れてきたばい」と話す声が聞こえた。喜代子は仕事で出向いていた浦上駅の売店で被爆。実と母がその場を訪れ、焼け残ったもんぺから顔も判別できない遺体を喜代子と確認した。被爆時、喜代子は志路のすぐそばにいた。「俺も終わりか」。死への恐怖が湧いた。

 だが3年後、志路は回復し、喜代子の墓参りもできた。手を合わせ目を閉じると姉の記憶があふれだした。「頑張って生きるけんね」。そう誓ったはずなのに、再び国鉄で働き始めると寂しさに襲われ、酒で気持ちを紛らわした。

 1995年7月、志路の妻百枝(74)が、亡くなった母ヌイの書類を整理していると1枚のモノクロ写真を見つけた。おかっぱ頭の女の子で、戦時中に国鉄の定期券の写真に押されていた丸いスタンプの跡があった。仏間にあった遺影から誰かを悟った百枝は、床の間にその写真をそっと飾った。志路は母がずっと大切にしていたかと思うと、親の愛情と悲しみの深さを思わずにはいられなかった。

 写真は染みや汚れで次第に見えづらくなったが、志路は今も床の間に置いている。子どものままの喜代子が「生きらんばよ」と励ましてくれているように思えるから。=文中敬称略=

 終戦間際の国鉄長与駅は、大野志路(しろう)(84)=西彼長与町高田郷=にとって思い出深い地だ。当時13歳。学徒動員先の諫早駅から帰る途中、ここで列車を降り、駅員だった1歳上の姉喜代子の仕事が終わるのを待って、2人で家路についた。「きょうもきつかったね」。物静かな姉だったので、交わす言葉は少なかったが、それがゆえにほっとした気持ちになれる時間だった。

 大野家は、両親と、きょうだい10人の大家族。戦時中、志路の兄3人は兵隊で家にいなかった。年長は喜代子だけで、志路が両親に叱られたときはかばってくれた。そんな優しさが、志路が大切にしている写真の表情からにじみ出る。しかし、戦後50年がたつまで、この写真が志路の目に触れることはなかった。

 71年前の8月9日。志路は仕事で長崎駅から浦上駅の方に軌道上を歩いていた。突然、真っ赤な煙に全身が包まれたかと思うと、気を失った。目が覚めると、右半身にやけどを負っていた。竹のかごで自宅に運び込まれてからは寝たきりに。傷口にうじ虫がわき、あまりの激痛に「死ぬけん、包丁ばくれ」と母ヌイに叫んだこともあった。

 ある日、兵隊から戻っていた兄で三男の実が「喜代子ば連れてきたばい」と話す声が聞こえた。喜代子は仕事で出向いていた浦上駅の売店で被爆。実と母がその場を訪れ、焼け残ったもんぺから顔も判別できない遺体を喜代子と確認した。被爆時、喜代子は志路のすぐそばにいた。「俺も終わりか」。死への恐怖が湧いた。

 だが3年後、志路は回復し、喜代子の墓参りもできた。手を合わせ目を閉じると姉の記憶があふれだした。「頑張って生きるけんね」。そう誓ったはずなのに、再び国鉄で働き始めると寂しさに襲われ、酒で気持ちを紛らわした。

 1995年7月、志路の妻百枝(74)が、亡くなった母ヌイの書類を整理していると1枚のモノクロ写真を見つけた。おかっぱ頭の女の子で、戦時中に国鉄の定期券の写真に押されていた丸いスタンプの跡があった。仏間にあった遺影から誰かを悟った百枝は、床の間にその写真をそっと飾った。志路は母がずっと大切にしていたかと思うと、親の愛情と悲しみの深さを思わずにはいられなかった。

 写真は染みや汚れで次第に見えづらくなったが、志路は今も床の間に置いている。子どものままの喜代子が「生きらんばよ」と励ましてくれているように思えるから。=文中敬称略=