夏の思い 被爆者アンケートから 1

被爆し、白血病に苦しんだころを思い出しながら語る石原さん=西海市西彼町下岳郷

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夏の思い 被爆者アンケートから 1 石原公明さん(86)=西海市西彼町下岳郷=
爆心地から1.1キロの長崎市茂里町で被爆
「核の傘」心情に反する

2015/08/04 掲載

夏の思い 被爆者アンケートから 1

被爆し、白血病に苦しんだころを思い出しながら語る石原さん=西海市西彼町下岳郷

石原公明さん(86)=西海市西彼町下岳郷=
爆心地から1.1キロの長崎市茂里町で被爆
「核の傘」心情に反する

「核兵器廃絶は可能だと思いますか」。長崎新聞が実施した被爆者アンケートの質問に対し、こう答えた。「いいえ」。理由は「世界中で核廃絶の問題が依然として変わってないから」。

核兵器削減、廃絶がなかなか進まない。この状況に、じくじたる思いがある。「原爆の恐ろしさを世界は知らない。またどこかで核兵器が使われて被害に遭わないと分からないのだろう」。被爆者として、皮肉まじりの感想を語る。

16歳の時、長崎市茂里町の三菱長崎製鋼所第1工場で作業中に被爆。吹き飛ばされたが、かすり傷程度で済んだ。同僚の救助に当たったあと、多くの死体や全身やけどの人々を見た。

実家のある亀岳村(西海市西彼町)に友人と歩いて戻った。しばらくたって白血病を発症。何度も大量の血を吐いた。十分な薬もなかった。苦しさの中、「死んだほうがまし」と幾度も思った。医師は近所の人に「助からない」と告げた。

牛の肝臓の蒸し焼きを食べたり柿の葉を煎じて飲んだりと、できることを全てやった。効いたかどうかは分からないが、体調は奇跡的に回復。近所では白血病で数人の被爆者が亡くなった。この白血病体験を、アンケートでは「一番つらかったこと」として挙げた。

県被爆者手帳友の会に誘われ、同会西彼支部の一員として被爆者健康手帳取得などを支援。被爆者対策の充実などを求める東京での陳情にも足を運んだ。

現在、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案の動きを見ながら、「また戦争の道へ進んでいく可能性がある」と日本の行く末を案じる。日本が米国の「核の傘」に依存していることにも矛盾を感じる。核兵器で傷ついた日本が、核兵器に守られている現状。「被爆者の心情に反する」と語る。

西海市の小学校で、被爆体験を語り、原爆、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを伝えてきた。しかし、体力は衰えている。「戦争は絶対にしてはいけない。被爆者として可能な限り平和を訴えていきたい。国民も日本の平和を守るため真剣に考えてほしい」。この夏も、そう願う。

◇ ◇

被爆70年に合わせ、長崎新聞社が県内と米国の被爆者団体などの協力を得て実施した被爆者アンケート(回答者388人)、被爆2~4世アンケート(同186人)。これまで複数回の特集を組み、被爆者像などを紹介してきたが、今回が最終章。回答した被爆者のうち5人に記者が会い、被爆体験とともに、被爆・戦後70年への率直な思い、回答に込めた真意を聞いた。