被爆70年の基点 ナガサキの課題 4

棚に並べられた骨つぼ=長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂

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被爆70年の基点 ナガサキの課題 4 無縁遺骨
遺族捜し 年々困難に

2015/07/31 掲載

被爆70年の基点 ナガサキの課題 4

棚に並べられた骨つぼ=長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂

無縁遺骨
遺族捜し 年々困難に

長崎市大宮町の西川美代子さん(78)は毎年夏、自治会の掲示板に張られる名簿に目を凝らす。原爆で犠牲になり、氏名は判明しているが引き取り手がいない「無縁遺骨」の名簿だ。

兄の谷崎昭治さん=当時(13)=が原爆の犠牲になった。兄は1945年、県立瓊浦中に入学。実家の西彼杵半島の瀬戸町(現西海市大瀬戸町)を出て、長崎市岡町に下宿していたが、どこで死んだかは分からない。遺骨もない。「兄はどこへ」。両親と西川さんらは戦後、捜し求めてきた。

「無縁遺骨」の名簿の「タ行」に兄の名を探す。「あればすぐ走ってもらいに行くのに」との思いで。

原爆は瞬時に多数の死傷者を出した。その膨大さから救護や遺体収容は困難を極めた。住民や家族、警察などが遺体を火葬したが、身元不明者や、一家全滅などで引き取り手がいない遺骨は市が保管し、「無縁遺骨」とした。市によると8964柱。うち氏名判明分は122柱。

「島田幸作様 島田米吉様 白石トク様…」。遺骨を安置している市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂(同市岡町)。納骨室には大小の骨つぼが50音順に並び、静かに引き取り手を待つ。

市は90年度に遺族調査を拡大し市内の自治会、公共施設、全国の都道府県など約2200カ所に名簿掲載のポスターを送付。これまでに14柱が引き取られた。

問い合わせは今も年に数件あるが、遺族の高齢化で年を追うごとに少なくなっている。最後に遺骨が引き取られたのは2006年8月。県外から「おじではないか」との問い合わせがあった。市は「10年後、20年後はさらに難しくなる」とみる。戦後70年が遺族捜しの最後の大きな節目といえそうだが、市は名簿掲示以外、具体的な対応は「考えていない」。

無縁遺骨は、真宗大谷派(東本願寺)長崎教務所(同市筑後町)でも保管されている。46年3月ごろから、爆心地周辺で門徒有志が散乱した遺体を荼毘(だび)に付し、遺骨を収集した。その数は1万とも2万ともいわれる。その後、「非核非戦の碑」を建立し、毎月9日に法要を営んでいる。

西川さんの母は生前「昭治がここに眠っている」と自分に言い聞かせるようにして足を運んだ。遺志を継いで法要に参列する西川さんは戦後70年を前に「区切りがつかず、つらい」と胸の内を明かす。