ナガサキの被爆者たち 田中熙巳の生き方 1

被団協定期総会で事務局長留任が決まり、代表委員の谷口稜曄さん(左)らと並んであいさつする田中さん(中央)=6月10日、東京都港区の東京グランドホテル

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ナガサキの被爆者たち 田中熙巳の生き方 1 運動の顔
理路整然と、誠実に

2015/07/16 掲載

ナガサキの被爆者たち 田中熙巳の生き方 1

被団協定期総会で事務局長留任が決まり、代表委員の谷口稜曄さん(左)らと並んであいさつする田中さん(中央)=6月10日、東京都港区の東京グランドホテル

運動の顔
理路整然と、誠実に

「核保有国の国民を動かす運動を、皆さんと一緒に考えたい」
東京都内で6月に開かれた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の第60回定期総会。事務局長の田中熙巳(83)は、4月から5月にかけ米ニューヨークで開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に関する報告に立っていた。同会議では被団協を代表して演説し、「(核兵器廃絶を)もう待てない」と、年老いた被爆者の思いを国際社会にぶつけた。
定期総会では、集まった仲間たちに、核のない世界の実現に向けた努力をあきらめず続けようと呼び掛けた。理路整然と、誠実に丁寧に語りかけ理解を得ようとする姿勢は、どんなときも変わることがない。
被団協は各地の被爆者団体でつくる全国組織として来年、結成60年を迎える。広島、長崎の被爆体験を原点に、核兵器廃絶と国家補償に基づく援護の実現を目指して展開してきた被爆者運動は、日本だけでなく世界の市民世論に大きな影響を与えてきた。
「事務局長」という立場は、組織運営の責任者として全国の被爆者団体の意見をまとめる一方、政府などとの交渉、報道機関への対応にも当たり、被爆者の言葉を発信する。裏方ながら組織内外で重要な役割だ。1945年8月9日、長崎市で被爆した田中は2000年に就任以来、15年間にわたり重責を果たしてきた。
普段は柔和な笑顔をたたえ、もの静かな印象。だが、核兵器廃絶や被爆者援護に消極的な政府官僚には、刃物のように鋭い反論を静かに浴びせる。「少し勉強すれば分かるでしょう」と、報道陣の質問に切り返すこともある。「割と気が短くて、思ったことをパッと言ってしまう。そうは見えないと言われるけど」
定期総会を前に、事務局長の退任を申し出た。「今後の被団協の運動を引き継いでもらいたい」。被爆者としては最も若い70歳代へ、バトンタッチが必要だと考えていた。しかし「節目の年までは務めてほしい」と慰留を受け、定期総会で留任が決まった。
被爆者運動をリードする“顔”の一人として存在感を発揮する田中。その半生を尋ねると、意外な言葉が返ってきた。「若いころは、自分なんて被爆者じゃないと思っていたんですよ」
=文中敬称略=
◇ ◇
被爆70年に向け、被爆者の思いや生きざまを伝えてきたシリーズ「ナガサキの被爆者たち」。今回は、長崎原爆の被爆者で被団協事務局長の田中熙巳さん(埼玉県在住)を取り上げる。