被爆66年 表現者たち 伝えたい 戦後に生まれて 中

漫画を広げながら早崎に作品への思いを語るマルモト(右)=長崎市、早崎宅

ピースサイト関連企画

被爆66年 表現者たち 伝えたい 戦後に生まれて 中 漫画 マルモトイヅミさん(47)
ありのままを作品に

2011/08/02 掲載

被爆66年 表現者たち 伝えたい 戦後に生まれて 中

漫画を広げながら早崎に作品への思いを語るマルモト(右)=長崎市、早崎宅

漫画 マルモトイヅミさん(47)
ありのままを作品に

今や世界共通語になっている日本の大衆文化「マンガ」。世代や国を超えて親しまれている漫画で被爆の実相を伝えようと、今年3月、インターネット上に「ニアメモーロ」という名のサイトが開設された。エスペラント語で「私たちの記憶」の意味。これまでに長崎で原爆に遭った5人の体験が描かれ、無料公開されている。プロジェクトを立ち上げたのは少女漫画誌で活躍するマルモトイヅミ(47)だ。

「広島には有名な『はだしのゲン』があるが、長崎にはない。描いてみたらどうだい」。きっかけは知人を介して出会った被爆者、森幸男(77)=当時=からのこんな一言だった。一昨年春のことだ。

正直、気乗りしなかった。父親と父方の祖父母が被爆者だが、体験は断片的にしか知らない。いつでも聞ける。そう思ってやり過ごすうちに、3人は鬼籍に入った。被爆地に暮らし、被爆者が身近にいるが故の無関心な戦後世代。それが自分だった。

やんわりと話をかわしたが、”説得”は続いた。ある日、ふと気付いた。「難しく考えず、森さんの体験を漫画にすればいい」。当時14歳の森の体験は、同世代の現代の子どもたちも自分に置き換えて感情移入がしやすい。何より、病と闘いながら語り部として子どもたちの前に立ち続ける森の姿が背中を押した。

そうして生まれた作品「水を求める」(白黒14ページ)には、こんな一場面がある。原爆の灼熱(しゃくねつ)に焼かれ、息も絶え絶えに水を懇願するけが人たち。水筒を差し出そうとする森少年を母親は「水を飲んだら死んでしまう」と制する。当時はそう信じられていたのだ。

「水を飲ませてやれなかった…」。「あの日」を語る森は声を詰まらせた。頭にこびり付いた記憶。多くの被爆者が今なお抱える心の傷を初めて思い知った気がした。「ありがとう」。昨年3月、感謝の言葉を残し、森は帰らぬ人となった。作品完成から半年後のことだった。

続けよう-。森と向き合ううちに、いつしか気持ちは固まっていた。早崎猪之助(80)も漫画の主人公になった一人だ。学徒動員先の三菱兵器大橋工場(爆心地から1・1キロ)で被爆し、奇跡的に助かった。今、生かされた命をかみしめながら語り部を続ける。7月下旬、自宅を訪ねたマルモトが広げた自身の漫画「はよう帰れ」(白黒18ページ)に目を見張った。「当時はシャツを洗うせっけんもなく、作業中は上半身裸で足元ははだし。被爆した無数のけが人たちが救援列車に群がる様子もこの通り。よう描けとる」。そして続けた。「被爆者はいずれいなくなる。私ももう長くは生きられない。漫画で後世に残してもらえて感謝です」。声が涙で震えていた。

「ニアメモーロ」プロジェクトには長崎の漫画家3人が加わった。単行本化し、海外向けに英訳版をネットに載せるのが目標だ。収入につながるめどは今のところないが、「あの時もう少し自分が頑張っていたら何か変わっていたかもしれない、と後で後悔するのは悔しい」。一こま一こまに核廃絶の希望と平和の祈りを込めることが、被爆地に生きる自分の役割だと考える。(敬称略)

【略歴】まるもと・いづみ 本名・丸本和泉。長崎南商業高卒業後、会社勤めを経て1992年、秋田書店の少女漫画雑誌「ボニータ」でプロデビュー。「長崎料理歳時記」(長崎新聞社)の挿絵などイラストレーターとしても活躍する。長崎市在住。