ピースサイト関連企画

福島へ 被爆地長崎の思い 2 胸の内
脱原発簡単に言えぬ
暮らしとの接点多く

2011/07/31 掲載

胸の内
脱原発簡単に言えぬ
暮らしとの接点多く

「逃げるなら会津か、仙台か」「体は本当に大丈夫なのか。被爆者なら分かるはず」。福島第1原発事故発生当初、福島県原爆被害者協議会(福島協議会)事務局長の星埜惇(ほしのあつし)(83)の自宅には、近所の主婦らが相次いで駆け付けた。
元福島大学長でもある星埜が「僕が広島で浴びた放射線量が1シーベルトだとすると1マイクロシーベルトは100万分の1。僕に比べれば問題にならない数値だし人間にはほとんど影響はないでしょう」。そう言い聞かせるとホッとした表情を浮かべたという。
自宅は原発から約60キロの福島市の住宅街。「マイクロシーベルト単位のわずかな増減で大騒ぎになる。何の説明もないまま放射線の数値だけを発表したことが混乱につながった」。政府や東京電力の対応のまずさをあらためて指摘する。
福島協議会の全国組織、日本被団協(東京)は5月27日、福島県庁を訪ね、原発事故の作業員や被災住民に対し、「健康管理手帳」の発行や生涯にわたる健康診断を求める要請書を担当者に手渡した。要請行動には福島協議会の幹部も同行したが、必ずしも趣旨に賛同していたわけではない。
星埜は「復旧にあたる原発作業員は別だが、被ばく者がまだ出ていないうちから手帳を求めるのはおかしいんじゃないか。(被ばく者が)出てからでも遅くはない。今の福島の最優先課題は原発の収束のはず」。現状認識に対する日本被団協との微妙なスタンスの違いがかいま見れる。
◇ ◇
太平洋沿岸部に複数の原子炉を抱える福島県内の被爆者の立場は複雑だ。同県内の被爆者数は広島、長崎を合わせて92人(3月末現在)。うち約30人が沿岸部で暮らし、原発と何らかのかかわりをもっていた。
「本人や息子が原発で働いていたり、娘が原発作業員の妻だったり。地元自治体の原発担当として『安全神話』を説いて回った被爆者もいる。彼らは放射能の恐怖に再びおびえながらも、原発を止めろなんて簡単に言えない」。事故を契機に「脱原発」の世論が盛り上がる中、星埜はそんな仲間たちの苦しい胸の内を代弁する。
だが皮肉にも今回の事故で県内の原子炉が廃炉になれば、被爆者と原発の関係も終わる。「(原発は)もともと米国が軍事用に開発した原子力を『平和利用』の名のもとに日本に購入させたもの」。星埜は「脱原発」までは踏み込めないにしても、「自然エネルギーへの転換」程度なら会として決議できるのではないか、そんなことも考え始めた。だが、会員の避難や地震による会場の被害で総会開催の見通しは立っていない。(文中敬称略)