証言の航海 ピースボート体験記 3

ポーランドのクラクフで被爆体験を語る深堀さん(左)

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証言の航海 ピースボート体験記 3 被爆者 深堀柱さん(81)
人間を追い込んだ極限 アウシュビッツを訪問

2011/06/17 掲載

証言の航海 ピースボート体験記 3

ポーランドのクラクフで被爆体験を語る深堀さん(左)

被爆者 深堀柱さん(81)
人間を追い込んだ極限 アウシュビッツを訪問

ピースボートの旅で、ユダヤ人など150万人余りが虐殺されたポーランドのアウシュビッツ強制収容所に足を踏み入れたのは3月10、11の両日。初日は小雪が舞い、ホロコーストの印象を一層強く意識させた。

収容所見学の前日、同国のクラクフで被爆証言会があり、収容所の元囚人で93歳になるブラッセさんと私の2人が地元高校生、若者を前に証言した。

ブラッセさんは、一兵士の身代わりとなり餓死刑になったコルベ神父(1930年から6年間、長崎市の聖母の騎士修道院に滞在)らと生活を共にした体験などを率直に語った。

一方、私は45年8月当時、旧制中学4年。学徒報国隊の一員として三菱兵器茂里町工場で働かされていた。9日は、空襲警報発令で工場から長崎消防署へ伝令として走り、署内で被爆。約3メートル吹き飛ばされて気を失ったことを皮切りに、厳しい防空壕(ごう)生活などを語った。

アウシュビッツ強制収容所-。40年、ポーランド軍が兵舎として使用していた場所に、ナチス・ドイツ軍幹部の命令で建設。第1号とも言える収容者は、ユダヤ人など政治犯728人とされる。

収容所で亡くなったコルベ神父の牢(ろう)を見学しての印象は「薄暗い部屋」の一語に尽きる。牢内に東京、福岡、長崎のカトリック信徒から託された3千羽の千羽鶴を押し込む形で差し入れた。直後、私の心のろうそくに灯がかすかにともった感じで、〓は涙でぬれた。

博物館も見学した。ガス室、死体焼却場となった焼却炉。見学の足取りは重かった。遺品もあった。約8万足の靴、トランク約1万2千個、約40トンに上る毛髪-。人間が人間の命を極限まで追い込み、死に至らしめた行為が目の前で交錯した。人類の歴史上、許されない罪と叫ぶ人もいる。

収容所には毎年、100万人を超える見学者が訪れ、世界最大の”墓地”で「私たちは何のために生きているか」について考えさせられるという。

【編注】〓は順の川が峡の旧字体のツクリ