「核密約」を問う
 被爆者・識者インタビュー 下

「核密約を否定するのはもはや無理」と語る新原氏=東京都東村山市

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「核密約」を問う 被爆者・識者インタビュー 下 国際問題研究者
新原昭治氏(78)
被爆国の視点なく
存在「否定」もはや無理

2009/10/04 掲載

「核密約」を問う
 被爆者・識者インタビュー 下

「核密約を否定するのはもはや無理」と語る新原氏=東京都東村山市

国際問題研究者
新原昭治氏(78)
被爆国の視点なく
存在「否定」もはや無理

〈核密約問題の経緯と本質は何か〉

1953年6月、アイゼンハワー米大統領は初めて核兵器の海外配備を指示した。陸上ではグアム基地に、ほかは空母に積載するという内容だ。それに伴い同年10月以降、核搭載した米空母オリスカニが横須賀、佐世保、神戸に計8回入港。これが核持ち込みの本格的な始まりだった。

翌年、第五福竜丸のビキニ被ばくを機に国内で原水禁運動が一気に高まるが、時期を同じくして米国は、在日米軍基地での核兵器の陸上貯蔵を要求し始める。

鳩山一郎首相はこれに追従姿勢。一方、57年に就任した岸信介首相は当初から核持ち込みに反対を表明し、米国には核持ち込みを事前協議の対象にするよう要求した。反核世論の空気を読んだわけだが、実際はどうだったか。マッカーサー駐日大使は、58年10月の日米安保条約改定第1回交渉で、艦船、航空機による核持ち込みは事前協議の対象外だと突き付けた。オリスカニ入港時からの慣例を続ける意思に何ら変わりはなかったということだ。

核密約は60年1月に交わされたが、日本政府は米国から足元を見透かされてきた。米国にしてみれば、日本には憲法9条があるから代わりに守ってやるというのが表向きの理由。これを口実に思い通りに核を持ち込む構図をつくり上げた。

資料を丹念に調査。核搭載艦の日本寄港記録や核持ち込みに関する秘密文書などを入手、公表している。東京都在住。
〈核密約問題の経緯と本質は何か〉

1953年6月、アイゼンハワー米大統領は初めて核兵器の海外配備を指示した。陸上ではグアム基地に、ほかは空母に積載するという内容だ。それに伴い同年10月以降、核搭載した米空母オリスカニが横須賀、佐世保、神戸に計8回入港。これが核持ち込みの本格的な始まりだった。

翌年、第五福竜丸のビキニ被ばくを機に国内で原水禁運動が一気に高まるが、時期を同じくして米国は、在日米軍基地での核兵器の陸上貯蔵を要求し始める。

鳩山一郎首相はこれに追従姿勢。一方、57年に就任した岸信介首相は当初から核持ち込みに反対を表明し、米国には核持ち込みを事前協議の対象にするよう要求した。反核世論の空気を読んだわけだが、実際はどうだったか。マッカーサー駐日大使は、58年10月の日米安保条約改定第1回交渉で、艦船、航空機による核持ち込みは事前協議の対象外だと突き付けた。オリスカニ入港時からの慣例を続ける意思に何ら変わりはなかったということだ。

核密約は60年1月に交わされたが、日本政府は米国から足元を見透かされてきた。米国にしてみれば、日本には憲法9条があるから代わりに守ってやるというのが表向きの理由。これを口実に思い通りに核を持ち込む構図をつくり上げた。

資料を丹念に調査。核搭載艦の日本寄港記録や核持ち込みに関する秘密文書などを入手、公表している。東京都在住。

日本国内でも、政府高官と国民世論との乖離(かいり)が続いてきた。政府の基本姿勢は、米国の世界軍事戦略に忠実に従うこと。被爆国としての視点はなく、広島、長崎の痛みを持ち合わせていたとは到底いえない。

74年、ラロック米退役海軍少将は米議会で、米艦船は「寄港の際、事前に核兵器を降ろすことはしない」と衝撃的な証言をした。私はラロック氏と10回近く会ったが、2003年のインタビューの際、彼は証言の動機について「米国が外国に核兵器を持ち込むと、核戦争の危険を増大させると思ったからだ。同時に、日本の非核三原則が順守されているのか、日本国民が現実を知らなければフェアではないと考えた」と答えた。うれしかった。彼は日本国民のことを考えていたのだ。日本政府と国民との乖離とは対照的に、だ。

核密約の存在が米資料で判明してから22年たつ。日本政府が「密約はない」と言い続けるのは、もはや無理がある。

新政権の調査では、とことんまで闇を暴いてほしい。核持ち込みを認めれば、日本が核使用の根拠地を提供することになり、国民の核廃絶の悲願は真っ向から否定されてしまう。国民も声を大にして訴える必要がある。

【略歴】にいはら・しょうじ 福岡市出身。長崎放送記者として佐世保で米海軍基地問題を取材。退職後、研究者として米国立公文書館などで米政府解禁資料を丹念に調査。核搭載艦の日本寄港記録や核持ち込みに関する秘密文書などを入手、公表している。東京都在住。