2009語り継ぐナガサキ
 核なき世界へ 4

「平和のために何ができるのかを考えることが大切」。生徒の自主性を大切にする草野=長崎市、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

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2009語り継ぐナガサキ 核なき世界へ 4 草野十四朗(くさの・としろう)
重んじる生徒の自主性
平和教育の理想求め

2009/07/30 掲載

2009語り継ぐナガサキ
 核なき世界へ 4

「平和のために何ができるのかを考えることが大切」。生徒の自主性を大切にする草野=長崎市、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

草野十四朗(くさの・としろう)
重んじる生徒の自主性
平和教育の理想求め

約30年も前のことだが忘れていない。活水高(長崎市宝栄町)教諭の草野十四朗(54)=同市エミネント葉山町=は、若き日のある出来事を振り返った。

大学3年の時に福岡県の中学校で行った教育実習。放課後の教室で、草野を長崎出身と知ったある男子生徒が原爆の話題を持ち掛けてきた。草野の母は、爆心地から約1キロ地点で被爆した。草野が被爆2世であることを明かすと、生徒は「げっ」と一瞬、たじろいだ。反応が素直だった。「でもこれが実態なんだ」。草野は感じた。「いかに原爆の恐ろしさだけを教えられているか」

大学卒業後、二つの県立高に赴任。母は原爆の放射線の影響を受け、乳がんを発症していた。草野にとって平和教育は避けて通れなかった。母の死をきっかけに長崎市内に戻り、25年前、活水高に赴任した。

活水中・高の校舎は、爆心地から約500メートルの至近距離に立ち、一部は被爆遺構であることなどから平和教育は以前から行われていた。だが、長崎で開かれた全国高校生平和集会に生徒が参加したことなどをきっかけに、草野は1988年、現在の平和学習部の前身、平和学習同好会を立ち上げる。生徒らの間で平和学習に自主的に取り組む動きが出始めた。

部の活動が校内だけにとどまり、停滞していた時期もあったが98年、高校生平和大使が発足。2001年には、国連に反核・平和への思いを伝えるための高校生一万人署名活動も始まる。

現在、学習部は高校生一万人署名活動と、全国から平和学習のために集まる学生のサポートをする青少年ピースボランティアの二つの班に分かれて活動する。生徒の自主性を掲げ、行政、市民団体などが主催するさまざまな活動に参加する。署名活動で、通行人から痛烈な言葉を浴びせられる生徒がいても、草野は前向きだ。「いろんな考えにぶつかって、たくましさを身に付けることができる」

7月上旬、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。交流で訪れていた米国の高校生約40人と学習部の生徒らが、核兵器廃絶について真剣に意見を交わしていた。「こういうのを見ると頼もしいですよね」。少し離れたところで生徒たちを見守っていた草野が目を細めた。

追い求めてきた平和教育のあるべき姿。ナガサキを語り継ぐため草野は今、こう語る。「原爆や戦争のおぞましさを教えるだけでなく、平和のために自分たちが何をできるのか考えさせ、行動するよう道筋を与えないといけない」(敬称略)