沈黙
 =被爆遺構= 4

写真
常清の被爆れんがを積み上げて造られたと伝えられている塀=長崎市上野町

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沈黙 =被爆遺構= 4 常清高等実践女学校のれんが 爆風で壊滅塀に

2008/08/08 掲載

沈黙
 =被爆遺構= 4

写真
常清の被爆れんがを積み上げて造られたと伝えられている塀=長崎市上野町

常清高等実践女学校のれんが 爆風で壊滅塀に

浦上天主堂に近い長崎市上野町の長崎信愛幼稚園。周りを囲むれんが塀の一角だけ古いことに気付く。

園児の元気な声が響くこの場所には、かつてカトリックの常清高等実践女学校があった。爆心地から〇・六キロの至近距離にあり、爆風で校舎は壊滅。多くの教職員と生徒が閃光(せんこう)に消えた。惨劇と平和への思いを後世に伝えるため、戦後、常清の被爆れんがを積み上げて塀の一部にしたといわれている。

当時、常清近くに自宅があり、疎開して助かった井手愛子さん(82)は、原爆投下翌日に目の当たりにした地獄のような光景が忘れられない。ミサに通った浦上天主堂は崩れ落ち、折り重なった黒焦げの遺体をまたがらないと前に進めなかった。「あんたよかね。生きててよかね」「水がほしい。水、水」。苦しみもだえる声に何もしてやることができなかった。そして、常清のそばで変わり果てた父親を見つけた。

原爆の痛手から常清は終戦間もなく閉校。シスター(修道女)となり、同幼稚園の教諭も務めた井手さんは「心から平和を望み、平和のために力を尽くすことが残された私たちの務め」と語る。