硫黄島からの生還 長崎・最後の証言者 2

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硫黄島からの生還 長崎・最後の証言者 2 西郷に召集令状が届いた。西郷は身重の妻の腹に顔を近づけ、わが子に語りかける。

「おい、聞こえるか。父ちゃんだ。いいか。今から言うことはだれにも言っちゃいけないぞ。いいな」。西郷は妻の手を強く握って言う。

「父ちゃんは生きて帰ってくるからな」

(映画「硫黄島からの手紙」)

◇ ◇ ◇

一九四四年六月半ば、長崎市の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。工務課に勤務していた田川正一郎は昼休み、同僚とキャッチボールをしていた。「田川さん、おうちから電話よ」。女性社員の声にピンと来た。職場の若い男は次々と召集され、空席が目立つようになっていた。

電話の相手は妻の登代子だった。二十五日前に結婚したばかりだ。

深堀さん
硫黄島に出征したときの心情を語る深堀(旧姓・田川)正一郎さん=長崎市内の自宅
「来たか」

「はい、召集令状が来ました」

「入隊日はいつか」

「あしたです」

「どこか」

「久留米の野砲隊です」

すぐに長崎をたたなければ間に合わない。同僚にあいさつを済ませ、橋口町の自宅に戻り荷物をまとめた。田川は二十歳の時、新兵として朝鮮半島の野砲隊に入隊。一年半前に満期除隊で長崎に戻ってきたばかりだった。「戦況は日に日に悪くなっている。今度は生きて帰れないだろう」。覚悟を決めた。

この日は博多の親せき宅に泊まることにした。登代子は一緒についてきた。列車の中で互いの写真を交換した。「何か言うことはないですか」。登代子が尋ねた。「ない」。田川は答えた。翌朝、久留米の部隊へ。軍服に着替え、着ていた服は妻に返した。その中に手紙を潜り込ませた。

「何ニモ思ヒ残スコトナシ。デハ時間ガナイノデコレデ失礼スル」

数日後、行き先を知らされないまま部隊は汽車で移動した。着いたのは横浜。埠頭(ふとう)には輸送艦が数隻接岸していた。乗艦するとき海軍の兵士に聞いた。

「どこに行くのか」

「硫黄島だ」

その島がどこにあるのかさえ知らなかった。

七月十日、出港。艦はすし詰めで、眠るのも座ったまま。米軍の潜水艦の攻撃を避けるようにジグザグ航行した。十四日、硫黄島に上陸した。周囲約二十二キロの小さな島。「こんなところで戦争ができるのか」

砂地をザクザクッと踏みしめて歩いた。突然、島の稜線(りょうせん)から赤や青の光が飛んできた。「歓迎の花火か」。そう思った瞬間、米軍機が上空に現れた。機銃掃射を浴び、とっさにくぼ地に飛び込んで伏せた。兵隊を乗せてきた輸送艦二隻のうち一隻が爆撃された。瞬く間に船は海中に沈み、黒い煙が立ち上った。沈んだ船から命からがら泳いでくる日本兵の姿が見えた。(敬称略) 西郷に召集令状が届いた。西郷は身重の妻の腹に顔を近づけ、わが子に語りかける。

「おい、聞こえるか。父ちゃんだ。いいか。今から言うことはだれにも言っちゃいけないぞ。いいな」。西郷は妻の手を強く握って言う。

「父ちゃんは生きて帰ってくるからな」

(映画「硫黄島からの手紙」)

◇ ◇ ◇

一九四四年六月半ば、長崎市の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。工務課に勤務していた田川正一郎は昼休み、同僚とキャッチボールをしていた。「田川さん、おうちから電話よ」。女性社員の声にピンと来た。職場の若い男は次々と召集され、空席が目立つようになっていた。

電話の相手は妻の登代子だった。二十五日前に結婚したばかりだ。

「来たか」

「はい、召集令状が来ました」

「入隊日はいつか」

「あしたです」

「どこか」

「久留米の野砲隊です」

すぐに長崎をたたなければ間に合わない。同僚にあいさつを済ませ、橋口町の自宅に戻り荷物をまとめた。田川は二十歳の時、新兵として朝鮮半島の野砲隊に入隊。一年半前に満期除隊で長崎に戻ってきたばかりだった。「戦況は日に日に悪くなっている。今度は生きて帰れないだろう」。覚悟を決めた。

この日は博多の親せき宅に泊まることにした。登代子は一緒についてきた。列車の中で互いの写真を交換した。「何か言うことはないですか」。登代子が尋ねた。「ない」。田川は答えた。翌朝、久留米の部隊へ。軍服に着替え、着ていた服は妻に返した。その中に手紙を潜り込ませた。

「何ニモ思ヒ残スコトナシ。デハ時間ガナイノデコレデ失礼スル」

数日後、行き先を知らされないまま部隊は汽車で移動した。着いたのは横浜。埠頭(ふとう)には輸送艦が数隻接岸していた。乗艦するとき海軍の兵士に聞いた。

「どこに行くのか」

「硫黄島だ」

その島がどこにあるのかさえ知らなかった。

七月十日、出港。艦はすし詰めで、眠るのも座ったまま。米軍の潜水艦の攻撃を避けるようにジグザグ航行した。十四日、硫黄島に上陸した。周囲約二十二キロの小さな島。「こんなところで戦争ができるのか」

砂地をザクザクッと踏みしめて歩いた。突然、島の稜線(りょうせん)から赤や青の光が飛んできた。「歓迎の花火か」。そう思った瞬間、米軍機が上空に現れた。機銃掃射を浴び、とっさにくぼ地に飛び込んで伏せた。兵隊を乗せてきた輸送艦二隻のうち一隻が爆撃された。瞬く間に船は海中に沈み、黒い煙が立ち上った。沈んだ船から命からがら泳いでくる日本兵の姿が見えた。(敬称略)

2007/08/12 掲載

硫黄島からの生還 長崎・最後の証言者 2

西郷に召集令状が届いた。西郷は身重の妻の腹に顔を近づけ、わが子に語りかける。

「おい、聞こえるか。父ちゃんだ。いいか。今から言うことはだれにも言っちゃいけないぞ。いいな」。西郷は妻の手を強く握って言う。

「父ちゃんは生きて帰ってくるからな」

(映画「硫黄島からの手紙」)

◇ ◇ ◇

一九四四年六月半ば、長崎市の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。工務課に勤務していた田川正一郎は昼休み、同僚とキャッチボールをしていた。「田川さん、おうちから電話よ」。女性社員の声にピンと来た。職場の若い男は次々と召集され、空席が目立つようになっていた。

電話の相手は妻の登代子だった。二十五日前に結婚したばかりだ。

深堀さん
硫黄島に出征したときの心情を語る深堀(旧姓・田川)正一郎さん=長崎市内の自宅
「来たか」

「はい、召集令状が来ました」

「入隊日はいつか」

「あしたです」

「どこか」

「久留米の野砲隊です」

すぐに長崎をたたなければ間に合わない。同僚にあいさつを済ませ、橋口町の自宅に戻り荷物をまとめた。田川は二十歳の時、新兵として朝鮮半島の野砲隊に入隊。一年半前に満期除隊で長崎に戻ってきたばかりだった。「戦況は日に日に悪くなっている。今度は生きて帰れないだろう」。覚悟を決めた。

この日は博多の親せき宅に泊まることにした。登代子は一緒についてきた。列車の中で互いの写真を交換した。「何か言うことはないですか」。登代子が尋ねた。「ない」。田川は答えた。翌朝、久留米の部隊へ。軍服に着替え、着ていた服は妻に返した。その中に手紙を潜り込ませた。

「何ニモ思ヒ残スコトナシ。デハ時間ガナイノデコレデ失礼スル」

数日後、行き先を知らされないまま部隊は汽車で移動した。着いたのは横浜。埠頭(ふとう)には輸送艦が数隻接岸していた。乗艦するとき海軍の兵士に聞いた。

「どこに行くのか」

「硫黄島だ」

その島がどこにあるのかさえ知らなかった。

七月十日、出港。艦はすし詰めで、眠るのも座ったまま。米軍の潜水艦の攻撃を避けるようにジグザグ航行した。十四日、硫黄島に上陸した。周囲約二十二キロの小さな島。「こんなところで戦争ができるのか」

砂地をザクザクッと踏みしめて歩いた。突然、島の稜線(りょうせん)から赤や青の光が飛んできた。「歓迎の花火か」。そう思った瞬間、米軍機が上空に現れた。機銃掃射を浴び、とっさにくぼ地に飛び込んで伏せた。兵隊を乗せてきた輸送艦二隻のうち一隻が爆撃された。瞬く間に船は海中に沈み、黒い煙が立ち上った。沈んだ船から命からがら泳いでくる日本兵の姿が見えた。(敬称略) 西郷に召集令状が届いた。西郷は身重の妻の腹に顔を近づけ、わが子に語りかける。

「おい、聞こえるか。父ちゃんだ。いいか。今から言うことはだれにも言っちゃいけないぞ。いいな」。西郷は妻の手を強く握って言う。

「父ちゃんは生きて帰ってくるからな」

(映画「硫黄島からの手紙」)

◇ ◇ ◇

一九四四年六月半ば、長崎市の三菱長崎兵器製作所茂里町工場。工務課に勤務していた田川正一郎は昼休み、同僚とキャッチボールをしていた。「田川さん、おうちから電話よ」。女性社員の声にピンと来た。職場の若い男は次々と召集され、空席が目立つようになっていた。

電話の相手は妻の登代子だった。二十五日前に結婚したばかりだ。

「来たか」

「はい、召集令状が来ました」

「入隊日はいつか」

「あしたです」

「どこか」

「久留米の野砲隊です」

すぐに長崎をたたなければ間に合わない。同僚にあいさつを済ませ、橋口町の自宅に戻り荷物をまとめた。田川は二十歳の時、新兵として朝鮮半島の野砲隊に入隊。一年半前に満期除隊で長崎に戻ってきたばかりだった。「戦況は日に日に悪くなっている。今度は生きて帰れないだろう」。覚悟を決めた。

この日は博多の親せき宅に泊まることにした。登代子は一緒についてきた。列車の中で互いの写真を交換した。「何か言うことはないですか」。登代子が尋ねた。「ない」。田川は答えた。翌朝、久留米の部隊へ。軍服に着替え、着ていた服は妻に返した。その中に手紙を潜り込ませた。

「何ニモ思ヒ残スコトナシ。デハ時間ガナイノデコレデ失礼スル」

数日後、行き先を知らされないまま部隊は汽車で移動した。着いたのは横浜。埠頭(ふとう)には輸送艦が数隻接岸していた。乗艦するとき海軍の兵士に聞いた。

「どこに行くのか」

「硫黄島だ」

その島がどこにあるのかさえ知らなかった。

七月十日、出港。艦はすし詰めで、眠るのも座ったまま。米軍の潜水艦の攻撃を避けるようにジグザグ航行した。十四日、硫黄島に上陸した。周囲約二十二キロの小さな島。「こんなところで戦争ができるのか」

砂地をザクザクッと踏みしめて歩いた。突然、島の稜線(りょうせん)から赤や青の光が飛んできた。「歓迎の花火か」。そう思った瞬間、米軍機が上空に現れた。機銃掃射を浴び、とっさにくぼ地に飛び込んで伏せた。兵隊を乗せてきた輸送艦二隻のうち一隻が爆撃された。瞬く間に船は海中に沈み、黒い煙が立ち上った。沈んだ船から命からがら泳いでくる日本兵の姿が見えた。(敬称略)

硫黄島に出征したときの心情を語る深堀(旧姓・田川)正一郎さん=長崎市内の自宅