伝えたい
 =戦後世代の「被爆」継承= 3

平和案内人と高校生平和大使。今後、戦後世代が継承の核を担う(コラージュ)

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伝えたい =戦後世代の「被爆」継承= 3 平和運動の転換点に 実相の訴え期待高まる

2007/08/04 掲載

伝えたい
 =戦後世代の「被爆」継承= 3

平和案内人と高校生平和大使。今後、戦後世代が継承の核を担う(コラージュ)

平和運動の転換点に 実相の訴え期待高まる

被爆体験を次世代に伝えてきた被爆者は高齢化の一途。今後、誰が被爆の実相を伝えるのか。

戦後、被爆者は自ら平和活動を担ってきた。一九九五年の被爆五十年を過ぎて始まったのが高校生平和大使。六十年を機に生まれたのが平和案内人。一方、修学旅行生らを対象に被爆体験講話をしている長崎平和推進協会継承部会の語り部(四十人)の平均年齢は今年七十七歳になる。戦後世代の活動は被爆地長崎の焦りから生まれた。

平和案内人は「被爆の実相を継承する存在」。長崎平和推進協会はこう位置付ける。被爆者が原爆の実相を訴える活動が「核兵器の使用を防いできた」との自負がある。被爆地がその力を失わないためにも、戦後世代が声を上げ続けなければ、と期待する。

被爆体験の講話、遺構巡りのガイド実習、世界の核情勢の解説-。平和案内人になるには、一回あたり数時間の講座を計十回以上受けることが条件。講習は三カ月に及び、プログラムは充実している。現在は一、二期の修了者計八十五人が活動。退職者や主婦が多く、平均年齢は五十八歳。戦後世代が中核を担っている。

一方、高校生平和大使の存在感も際立つ。発足当時から支援する被爆二世の平野伸人さん(60)は、被爆四十年のころから「これまで平和運動を引っ張ってきたのは被爆者。今後被爆者を超える運動をできるのか」という不安を抱えていた。

「被爆二世が引き継ぐだけでは、共感を呼ばず、活動の幅は広がらない」。平野さんが参加する各種平和集会でも参加者は年々高齢化していた。若い人に思いを引き継いでほしいという声が切実になっていた。

初年度は応募数十四人だった高校生平和大使。近年は百人近くの応募が続く。今年は初めて外国の大使も誕生し、日本の枠を超えた。田上市長は高校生平和大使を「核兵器廃絶の長崎の訴えはこれまで被爆者が担っていた。若い人につながった高校生平和大使は、世界の手本」と評する。

「以前は『被爆者でない』というのは平和活動の大きなネックとなっていた。高校生平和大使は、被爆者以外が中心となった大きな転換点。広げられるところまで広げたい。世界を変えるまで」。平野さんは先を見続ける。