平和と暴力
 =被爆62年・長崎= 4

久間発言後の「反核9の日座り込み」。被爆地の思いはどう伝わっているのか=7月9日・長崎市松山町、平和公園

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平和と暴力 =被爆62年・長崎= 4 運 動 どう伝えたらいいか

2007/07/26 掲載

平和と暴力
 =被爆62年・長崎= 4

久間発言後の「反核9の日座り込み」。被爆地の思いはどう伝わっているのか=7月9日・長崎市松山町、平和公園

運 動 どう伝えたらいいか

伊藤前長崎市長が射殺された五日後の四月二十二日。市中心部で「暴力の追放と民主主義の擁護」を訴える緊急署名活動があった。

参加した会社員、福田美智子さん(27)は、かすかな違和感を覚えた。「なぜ、活動に“飛び入り”がいないのだろう。こんな大事件なのに…」

知人からのメールで、市民団体メンバーが企画したこの活動を知った。署名の呼び掛けなら私にもできる。そう思って参加してみると、自分はごく少数派だった。「熱心な人は一部だけ。多くの市民とは何の接点もない」

長崎大在学中から、朝鮮人被爆者と日常的に交流を続けた。「何事にも関心を持つことが大事」と考え、平和運動にかかわった。だが、違和感があった。例えば、街頭などで配るビラ。「こちらが正義だと言わんばかり。言葉遣いも、誰かを糾弾するような感じ」。平和を訴えるには幅広い共感が必要で、それが物事を動かすエネルギーになるはず。「今のやり方のままで言いたいことは伝わるのか」。漠然とした疑問がぬぐえなかった。

こうした思いとは対照的に、激烈な反発がわき上がった。

久間章生前防衛相が六月末、原爆投下を「しょうがない」と発言し、被爆者・平和団体は一斉に反発。原爆が旧ソ連の日本侵攻を防ぎ、終戦を早めた結果、多くの命が救われた-と取れる発言を「許し難い」と糾弾した。

発言を裏返せば、多くの人命を救うためには、非人道的行為による犠牲も一定許容されるとの理屈になるからだ。どんな理由があっても製造や使用を認めないという核兵器廃絶の論理とは、対極にある。

「われわれの力足らずで許してしまった」。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の川野浩一副議長(67)は、積極的でないにせよ武力を容認する社会的風潮が久間発言に反映されていると感じる。

だが、怒りをあらわにするほど、被爆者は「非暴力の象徴」になり、むしろ一般市民の共感を遠ざけることにもなりかねない。ジレンマがある。

被爆者団体などが、長崎市の平和公園で毎月九日に開いている「反核九の日座り込み」。久間発言後の七月九日で通算三百十四回に達した。

川野副議長は、被爆者の存在自体が平和を訴えるメッセージだと考える。「座り込みに『何の意味があるのか』との批判も聞いてきた。だが、それ以外、われわれにはいい方法が見当たらない」

伝えたいことを、どう伝えればいいか。被爆地に降り掛かった「暴力」は、その意味を問い掛けているかに見える。