国よ、償え
 =原爆と東京大空襲= 4

長崎被災協前には国家補償への賛同を呼び掛ける署名用紙が置かれている=長崎市岡町

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国よ、償え =原爆と東京大空襲= 4 被爆者の思い まだ決着していない

2006/08/01 掲載

国よ、償え
 =原爆と東京大空襲= 4

長崎被災協前には国家補償への賛同を呼び掛ける署名用紙が置かれている=長崎市岡町

被爆者の思い まだ決着していない

「確かに被災協(長崎原爆被災者協議会)が結成された五十年前は金よこせ、物よこせ、と主に暮らしの保障を求めていた。いまは、例えば私は生活に不自由していない。それでも被爆当時に自分たちのせいでこうなったわけではない、国に償ってほしいと強く思った部分は決着していない」

被災協事務局長の山田拓民(75)は、長崎市岡町の事務所で被爆者が「国家補償」を求め続ける理由を語った。

山田は昨年冬、本紙の文芸小説に応募し、入選した。原爆投下から二週間後に亡くなった母親のモノローグ(独白)という設定で、姉と、弟二人の死を描いた。山田が集めてきた木材の上に、冷たくなった姉と乳飲み子の弟を寝かせて焼くシーン。「私(母)の涙は枯れ、ひとかけらの感情もなくなった」(一部中略)

山田は「書きながら涙がぼろぼろあふれ、横に置いたタオルでずっとふいていた。即死を免れた人も、なぜ、どうして、と理由が分からぬまま亡くなった」と話す。

被爆者が求めてきた補償は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が一九八四年に発表した「基本要求」に明記されている。

「核戦争被害を国民に受忍させないと国が誓うことが大前提」と打ち出し、具体的な形として、死没者遺族への弔慰金や年金の支給、国の責任による健康管理と治療、療養、被爆者への年金支給を挙げた。被団協はこれらを掲げ被爆者援護法制定を国に迫っていく。

これに対し世間には医療給付や諸手当の支給といった「従来の援護政策の拡充にすぎない」と冷めた見方もあった。

被爆者運動が盛り上がった八〇年から十一年間、被団協の事務局員だった栗原淑江(59)=東京都杉並区=は「被爆者対策の精神を社会保障から国家補償に転換せよと被爆者は求めた。それは国の戦争責任を明確にし、二度と被爆者の苦しみを繰り返させないということ。だから被爆者だけの問題ではなく、国民の未来にかかわることだ」と話す。

被団協はいま、「社会保障」の援護法成立という「悪夢」を乗り越え、集団申請・訴訟という手法を使い、被爆者から「厳しすぎる」と批判が強い原爆症認定制度の改善を国に迫っている。現行法の改正に結びつけ国家補償にまで発展させようとの狙いだ。被団協事務局長の田中熙巳(74)は「認定制度にはもともと国家補償的な性格があったのに、国は原爆被害を放射線に絞り、その対象を狭めてきた」と話す。

だが異論もある。山田は「現行法内で制度の運用をただせということにしかならない。国家補償への足掛かりにはならないだろう」と懐疑的だ。

栗原は東京空襲の被害者に触れて提案する。「戦争被害は原爆と空襲では異なるが、被害への国の責任を明らかにし補償を求める点は同じ。受忍政策という共通の壁に向かって被害者たちが連帯し、国の償いを新たに制度化するよう運動を強めてほしい」(文中敬称略)