「彼」と「彼女」の平和考
 =高校生1万人署名活動OB=
  3

実際に体験することで平和を学び、訴え続けた高校時代の津田さん=2004年6月17日、長崎市内

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「彼」と「彼女」の平和考 =高校生1万人署名活動OB= 3 会社員 津田麻友子さん
世界の子どもに笑顔を

2006/07/23 掲載

「彼」と「彼女」の平和考
 =高校生1万人署名活動OB=
  3

実際に体験することで平和を学び、訴え続けた高校時代の津田さん=2004年6月17日、長崎市内

会社員 津田麻友子さん
世界の子どもに笑顔を

大村市内の携帯電話ショップ。自動ドアが開きお客さんが入ってくると、制服姿の津田麻友子さん(19)の笑顔がはじけた。店内に展示してある携帯電話を手に取り、機能やデザインへの質問にてきぱきと答える。表情には仕事への充実感がにじんでいる。

二〇〇四年六月。今のように生き生きとした高校三年の津田さんの姿が、長崎市役所にあった。

「世界中の人々が幸せに暮らせるようになってほしい」

スイス・ジュネーブの国連欧州本部で平和のメッセージを訴える「高校生平和大使」の就任会見。その二年前、落選を経験した。だが、平和活動にのめり込み、念願がかなった。

高校一年で平和大使に応募したのは、「親に勧められた」だけの理由だった。平和活動のバックグラウンドはなかった。「落選は当然だったんですよ」

選考会で、高校生一万人署名活動実行委のメンバーと出会い、活動に参加するようになった。週末は大村から長崎まで電車で通った。「学校のクラブ活動みたいなもの。核兵器がなくなればいいな」ぐらいの気持ちだった。

高校二年の〇四年春に転機が訪れる。貧困に苦しむアジアの子どもたちに鉛筆を渡す「高校生一万本えんぴつ運動」でフィリピンを訪ねた。まちを歩いていると、薄暗く異臭が漂うスラム街に出くわした。ぼろぼろの服を着た子ども、左右のスリッパが違う子ども。そのすぐ横には高層ビルがそびえ、日本では想像できない貧富の格差という現実を見た。ショックだった。

貧しい子どもの生活や進学を支援する施設で鉛筆を一人一本ずつ渡すと、子どもたちは満面の笑みを浮かべた。

「たった一本の鉛筆なのに…」。強い思いが込み上げてきた。「世界の子どもたちが笑顔で暮らせるようにしたい」

高校の定期試験が近づいても活動には普段通り取り組み、一切手は抜かなかった。凍えそうな冬の日も、JR長崎駅前で友人と二人で署名を集めた。一方で、ほかのメンバーのように本で知識を集めることはしなかった。「勉強は苦手だった。それに、知識よりも体験から吸収できることが多いと思った」

高校三年の夏、平和大使として訪れた国連欧州本部で心の底から訴えた。「核兵器を造るお金があるなら、フィリピンの貧しい子どもたちのために使ってほしい」