長崎原爆資料館10年
 =歩みとこれから= 5(完)

熱線で焼かれた上半身裸の山口仙二さんの写真。「熱線の被害」コーナーに展示されている=長崎原爆資料館

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長崎原爆資料館10年 =歩みとこれから= 5(完) 使 命 被爆者の思い 継承を

2006/04/30 掲載

長崎原爆資料館10年
 =歩みとこれから= 5(完)

熱線で焼かれた上半身裸の山口仙二さんの写真。「熱線の被害」コーナーに展示されている=長崎原爆資料館

使 命 被爆者の思い 継承を

「これが(原爆投下時刻の)十一時二分で止まった時計です」―。長崎原爆資料館の常設展示室で「平和案内人」が口を開くと、団体客は食い入るように時計を見詰めた。

案内人は長崎平和推進協会が育成、被爆六十周年の昨年四月から活動を始めた。昨年末までに八十六人の案内人が延べ約一万六千人をガイド。協会は「展示物に意義付けする貴重な存在」と強調する。

官民一体となって平和活動に取り組む同協会は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(二〇〇三年七月開館)の管理運営も受託した。追悼祈念館は原爆犠牲者を静かに追悼する空間で、被爆者の体験記約三万六千件などを閲覧できるコーナーもある。

原爆資料館と追悼祈念館。この二つの施設は爆心地を見下ろす小高い丘に並び立つ。被爆地長崎の「平和発信の拠点」でもある。だが、年間約七十万人が訪れる資料館に対し、追悼祈念館の入館者数は年間約九万四千人(資料館の約13%)。隣り合う利点を生かし切れていない。

「資料館は心安らぐ場所。平和を願う人が集まってくるから」―。県立長崎シーボルト大二年で平和サークルを主宰する伊藤和吉さん(19)はこう話す。資料館は、国内外に平和をアピールする「平和推進室」と、若い世代の平和学習を支える「平和学習支援室」も備えるが、伊藤さんは物足りなさを感じる。「長崎歴史文化博物館の長崎学コーナーのような学ぶ意欲を支えてくれる場所があったら、もっといい」

また、資料館はインターネットでも各種情報を発信する。ホームページ(HP)のアクセス数は「原爆の日」を迎える毎年八月、年間最大(昨年約八十万件)を数えるなど需要は高い。伊藤さんは「長崎まで来ることができない人が、HPのバーチャル資料館で原爆について理解を深めたり、国内の平和資料館のHP同士がリンクしたりすれば、さらに充実する」と提案する。

被爆の実相をどう伝え、核兵器廃絶をどう訴えていくか―。資料館の使命について、市の平和宣言起草委員で長崎総合科学大の芝野由和助教授は「被爆者がどんな思いで生きてきたかという継承面を加えてもいいのではないか」と指摘する。

原爆資料館の「熱線の被害」コーナー。ここに頭、首、腕と右半身の皮膚にケロイドが残る上半身裸の男性のカラー写真がある。日本原水爆被害者団体協議会代表委員の一人、山口仙二さん(75)=雲仙市小浜町=だ。

「原爆に遭っていない人に被爆者の心身の傷を理解してもらうことは難しい」。そう思い、焼かれた身をさらした。「昔ほど反核運動にも参加できなくてね。資料館には核兵器の犯罪と真実をずっとアピールしてほしい」。永遠に癒えぬ傷を永遠の写真に託し、世界の平和を訴え続ける。