決意の夏
 =ナガサキ再構築へ= 6(完)

国家補償による被爆者援護の意義を街頭で訴える山田拓民さん=長崎市内

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決意の夏 =ナガサキ再構築へ= 6(完) 国家補償
二度と戦争させない

2005/07/30 掲載

決意の夏
 =ナガサキ再構築へ= 6(完)

国家補償による被爆者援護の意義を街頭で訴える山田拓民さん=長崎市内

国家補償
二度と戦争させない

今月二十日、ベルギー国営放送の記者とカメラマンが長崎被災協を訪れ、原爆症認定訴訟を十二年にわたって闘い、最高裁で勝訴を勝ち取った被爆者、松谷英子(63)を取材していた。傍らで、被災協事務局長の山田拓民(74)は「今年は、海外メディアの取材が本当に多いよ」と、節目の年の注目度に期待を寄せる。

「なぜ、日本政府は被爆の認定を拒んだのですか」。ベルギーの記者は最初、被爆者手帳の取得と原爆症の認定を混同していた。同席した山田や弁護士の中村尚達の説明が続く。「予備知識は十分ではなかったけど、きちんと分かってくれましたね」。山田は笑った。

核兵器廃絶への道は依然見えない。だが、海外の目は、確かにナガサキに注がれている。被爆者たちにも落胆はない。

長崎被災協は今年、核兵器廃絶へのさらなる努力と非核三原則の法制化、国家補償による被爆者援護―を国会に請願する新たな署名活動を始めた。

「国家補償を言いだすと、被爆者はまだ何か欲しいのか―と言われるかもしれない。だけど、そうじゃない」

山田は運動の真意をこう説明する。戦争の被害を国の責任で賠償させることをあきらめてしまったら、戦争が国家に必然的につきまとう行為だと認めてしまうことになる―と。「国家補償を実現させることは、本当に戦争をしない国をつくること。被爆者はその先頭に立たなきゃいけない」

三日後。山田は十数人の仲間とともに、長崎市中心部のアーケード入り口で週末の通行客に運動への理解を呼び掛けた。

「私たちはこの六十年間、二度と被爆者をつくるな、と訴えてきた。でも、核兵器はなくならないばかりか、米国は小型で使い勝手のいい核兵器をつくろうとしている」。真夏の日差しが照りつける中、マイクの声が響く。

「もっと戦争が早く終わっていたら東京大空襲も、沖縄の地上戦も八月六日も九日もなかった」「唯一の被爆国と言うのなら、政府も国会も、もっと真剣に核兵器廃絶に取り組んでほしい」「戦争の被害を国が補償してこそ、二度と戦争をしない国になれる」―。

「ほら、これからはあんたたちの時代になるけんね」―。署名用紙を首に下げた被爆者がペンを差し出した。私たちでもいいんだよね。顔を見合わせながら二人連れの女子中学生が足を止めた。(文中敬称略)