決意の夏
 =ナガサキ再構築へ= 1

核兵器廃絶への思いを語る山口仙二さん=小浜町

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決意の夏 =ナガサキ再構築へ= 1 確信と疑念
新たな覚悟迫られる

2005/07/25 掲載

決意の夏
 =ナガサキ再構築へ= 1

核兵器廃絶への思いを語る山口仙二さん=小浜町

確信と疑念
新たな覚悟迫られる

「あの日」から六十回目の八月が巡ってくる。世界の核管理と核軍縮の在り方を検証する五月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は何一つ答えを出せずに閉幕、核廃絶への道には暗雲が垂れ込めたままだ。被爆者たちが「最後の節目」と口にしてきたこの夏、被爆地長崎は、新たな決意と覚悟を迫られている。

「…ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウオー」―。二十三年前の国連軍縮特別総会。大きな身ぶりを交えながら演壇で世界に向かって叫んだ。夢中だった。

日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の山口仙二(74)は被爆六十年の今年、その時の映像を夕方のニュースの原爆特集の冒頭で連日、懐かしく目にしている。「元気に見えるけど、あの時も大変だった。演説をどがん言うかって五カ月かかって議論して、最後は点滴打ったりしながら…」

被爆地と日本の反核運動を、先頭に立って引っ張ってきた。しかし、今春のNPT再検討会議は、南高小浜町のケアハウスで決裂までの推移を見守った。長崎を離れてこの秋で二年。「とにかく、年寄りになりました」

運動を始めたころ、欧米には、米国のプレスコード(報道規制)の影響で広島と長崎の真実が伝わっていなかった。中国や朝鮮半島をはじめとするアジアの人は「日本に原爆が落とされて良かった」と心から思っていた。

そんな世界に核兵器の恐怖と非人道性を訴え続けてきた。ピカッと光ったら、皆よく分からないまま熱線に焼かれて、爆風に飛ばされて、倒れた建物の下敷きになった。生き残った人も放射線の障害で苦しみながら死んでいく。原爆は人を選ばないんです―と。

運動は一日一日継続することが大切だ、といつも言い聞かせてきた。運動の成果も確信している。「危ない場面が何回もあって、核兵器はいつ使われてもおかしくなかったけど、最後のボタンは押されなかった。人類が踏みとどまれたのは、広島、長崎の体験と訴える声があったからだ」

「もう核兵器でどうこうする時代じゃないことは、核保有国もそうでない国も分かってるはず。どこの国の市民も、政治家も、核を兵器として使ったら大変なことになると知ってるんです」と山口は言う。

米国でもヨーロッパでも、反核のうねりは大きくなった。もうひと踏ん張りなのだろう。だが、世界は、使えない物はいらない、という当たり前のような次の一歩がなかなか踏み出せない。「核兵器の完全な廃絶は不可能なのかもしれない」。確信の中で、そんな疑念がよぎる。(文中敬称略)