被爆資料は語る
 -65年目の夏- 7(完)

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被爆資料は語る -65年目の夏- 7(完) やすり
見てほしい 少女が生きた証し

2004/08/08 掲載

被爆資料は語る
 -65年目の夏- 7(完)

やすり
見てほしい 少女が生きた証し

長谷崎シゲさん(81)=長崎市坂本二丁目=は純心高等女学校に通っていた、いとこの川上トミさん=当時十五、六歳=を原爆で殺された。長谷崎さんを「お姉ちゃん」と慕う、おかっぱ頭のかわいい子。学徒動員先の三菱兵器大橋工場(爆心地から約一・二キロ)でやすりを握り締め、うつぶせで死んでいた。

爆心地の松山町で材木屋を営んでいた川上家は、トミさんを残し、長谷崎さんら親類がいる西彼杵郡黒崎村(現在の外海町)に疎開していた。八月九日。トミさんの父親好一さんは兵器工場へ向かった。

黒焦げの遺体を一つ一つひっくり返すうち、「川上」と刻んだ印鑑を入れた小袋を腰にくくり付けた少女を見つけた。顔は分からなかったがトミさんと確信、遺骨などと一緒にやすりも持ち帰ったという。

長谷崎さんがやすりを見たのは、三十年前に好一さんが亡くなった後。好一さんが毎日祈っていた自宅の神台(こうだい)の中に大切そうに新聞紙にくるまれてあった。譲り受け、毎日手を合わせた。だが、徐々にさびていく。「トミが生きた証しを多くの人に見てほしい」との思いを強くし、一九七八年に寄贈。

ちょっぴりはにかんだ様子でほほ笑むトミさんの写真一枚が手元に残った。それを握り締め「本当にきれいな子やったとに、苦労して死んで」と語る長谷崎さん。九日にはトミさんが眠る長崎市内の墓地を訪ね祈りをあげる。