壁に挑む
 =原爆症集団申請= 3

「焼け野原で粉じんをいっぱい吸った」と当時を振り返る山口桂二さん=長崎市深堀町6丁目

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壁に挑む =原爆症集団申請= 3 入 市 心ある言葉 欲しいだけ
山口桂二さん(70)
=長崎市深堀町=

2002/08/03 掲載

壁に挑む
 =原爆症集団申請= 3

「焼け野原で粉じんをいっぱい吸った」と当時を振り返る山口桂二さん=長崎市深堀町6丁目

入 市 心ある言葉 欲しいだけ
山口桂二さん(70)
=長崎市深堀町=

原爆投下から数日後だった。当時、瓊浦中一年の山口桂二さんは焼け野原を歩いて爆心地から約六百メートルの学校まで行った。「がれきを片付け、粉じんをたくさん吸った。がんでこれだけ体を切り刻むと、体内に放射線が入ったからじゃないかという思いになる」

原爆投下後に入市した被爆者たち。その疾病に対する原爆症認定は現在、極めて厳しい状況にある。

審査に採用されている被ばく線量推定方式DS86は、主に距離に基づいている。呼吸や水などに混ざって体内に取り込まれた放射性物質による体内被爆の影響は、考慮していないとされる。

山口さんは定年後、膀胱(ぼうこう)に悪性ポリープが見つかり手術。さらに胆管がんが見つかり、昨年十一月に手術、胆のうなどを失った。「よくも悪くもない」状態が今も続く。

「山口さんのような人は、砂ぼこりなどに混じった放射性物質を相当吸い込んでいるはず」。長崎被災協の山田拓民事務局長はDS86に依拠する審査を批判する。

原爆症は、原爆の障害作用による病気やけがに対して厚生労働大臣が認定する。現在も治療が必要な人には月額十三万九千六百円の医療特別手当が支給される。

「誤解されたくない」と山口さんは言う。「自分の病気を国に認めさせたいだけ。たった一言、心ある国の言葉が欲しい。手当をくれというのではない」。金ではない。放射線に対する恐怖と向き合い続ける被爆者の苦しみを代弁しなければならないという思いだ。

入市で爆心地に近づいたとはいえ、直接の被爆距離は二キロ以遠。「確かに私の場合、現在の審査では楽観できない」。手術前に比べ十二キロもやせ、細くなった腕をさすりながら山口さんは認定の壁に挑む。

あの日 爆心地から約三キロ、大波止桟橋で被爆。当時県立瓊浦中一年、十三歳だった。帰りの船を待っていると、猛烈なせん光と爆風を受けた。伏せた体を起こすと、砂嵐に包まれた。浪の平まで友達と必死で逃げ、深堀の自宅まで歩いた。数日後、学校から呼び出され登校。遺体の火葬や校舎周辺のがれきを片付けた。往復三十キロを歩き、なぜか体がひどくだるかった。