平和へのメロディー 5

子どもたちは真ん丸く口を開けて「あの子」を歌った=長崎市橋口町、山里小学校音楽室

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平和へのメロディー 5 長崎市立山里小学校
あの子 永井博士の願い胸に

2002/07/27 掲載

平和へのメロディー 5

子どもたちは真ん丸く口を開けて「あの子」を歌った=長崎市橋口町、山里小学校音楽室

長崎市立山里小学校
あの子 永井博士の願い胸に

♪ああ あの子が生きていたならば

このフレーズは「あの子」の中で三番まで繰り返される。

「永井隆博士はこの後、何を言いたかったんだろうね」。山里小学校三年三組の音楽の授業。担任の峯教子教諭(30)の質問に、クラスのみんなは、ちょっと考えた。

一人、二人…。次第に手が上がる。

「夏休みで浦上川や海で泳いだりして、遊んでいたと思います」「飛行機のパイロットとか、自分の夢をかなえていたと思います」

でも、それができなかった時代。山里小は児童約千三百人が原爆の犠牲になった。

「平和な時代がやってくるのを見ないまま、校庭や、君たちが立っているこの場所で一瞬にして亡くなったんだよ」。先生の言葉をみんな黙って聞いていた。

永井博士は、これから生きていく子どもたちに、二度とあんな惨劇が起きないよう願った。そして、山里小の児童たちのために「あの子」の歌詞を残した。

山里小にとって、この歌は校歌と同じ。八月九日と十一月の平和祈念式や卒業式などでは欠かせない歌。新入生には毎年、高学年の歌を録音したテープと歌詞カードがプレゼントされる。

朝の会や帰りの会。三年三組では折に触れてこの歌を歌う。峯教諭は意識的にそうしてきた。

「歌は『覚えなきゃ』と思うと覚えられない。普段歌っていると忘れないもの。大人になって、この歌を思い出すとき、戦争のこと、原爆のことを少しでも考えてもらえたらいい」

いじめやけんかは“小さな戦争”と、いつも話している。心を傷つけることは、体を傷つけることよりもひどいこと。人を思いやる心は一番大切なこと。

この日の授業は、終わりに近づいた。

「校庭で、教室で、『あの子』たちは、みんなのことをちゃんと見ています。自分たちがかなえられなかった夢を託すために」。峯教諭はピアノに手をやり、伴奏を始めた。

♪壁に残ったらくがきの おさない文字のあの子の名…

子どもたちは真ん丸く口を開き、歌いだした。教室に元気な歌声が響いた。