隔てられた援護
 =在外被爆者と呼ばれて= 下

在外被爆者への援護法適用を求めて座り込みをする支援者ら=12月1日、長崎市内

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隔てられた援護 =在外被爆者と呼ばれて= 下 閉塞状況に差す光
司法、国の「違憲性」指摘

2001/12/13 掲載

隔てられた援護
 =在外被爆者と呼ばれて= 下

在外被爆者への援護法適用を求めて座り込みをする支援者ら=12月1日、長崎市内

閉塞状況に差す光
司法、国の「違憲性」指摘

李裁判 援護法適用どう判断

海外では一九六五年、米国で「原爆友の会」(現・米国原爆被爆者協会)が結成されたのに続き、六七年に韓国で、八四年にはブラジルでそれぞれ被爆者組織が発足。日本の市民団体と手を取り合い、「国内の被爆者と同等の援護」を日本政府に求め続けてきた。

森田隆・在ブラジル原爆被爆者協会長は振り返る。「国に請願を出し続けても、けんもほろろ。“在外”という壁に阻まれながらの、細々とした闘いだった」

閉塞(へいそく)感さえ漂った運動に六月、一筋の光が差し込んだ。元韓国原爆被害者協会長の郭貴勲さん(77)が在外被爆者への被爆者援護法適用を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、援護法を海外居住者に適用しないとする旧厚生省の局長通達を「法の下の平等を定めた憲法一四条に反する恐れもある」と違憲性にまで踏み込んだ。

被告の国などは判決を不服として控訴したが、同種の訴訟はほかに長崎地裁での李康寧裁判など三件がある。このうち、長崎市の元教諭、広瀬方人さん(71)は十月、海外勤務での出国を理由に援護法に基づく健康管理手当の支給を打ち切られたのは不当として、長崎地裁に提訴した。「大阪地裁判決は被爆者はどこにいても被爆者であることを自覚させてくれた。提訴は援護法の欠陥を自分なりに問題提起したかったから」と言う。

国が郭裁判の一審敗訴を受け、八月に設置した在外被爆者の援護に関する検討会。十日の最終会合も後半に差しかかったころ、座長の森亘・日本医学会長は坂口厚労相に向かって議論を総括しながら語った。

「振り返ってみると、在外被爆者に対しては国内被爆者に対するよりも、援護に関して、われわれ(国民)は無関心に近い状態だった」

検討会は、在外被爆者に何らかの救済策が必要として▽渡日治療が受けられる条件整備▽基金制度で健康管理手当に準じる現金給付―などの施策、意見を盛り込んだ報告書をまとめた。

だが、援護法適用で根本的な解決を図ろうとする在外被爆者や支援者の不満は強い。渡日治療にしても、倉本寛司・米国原爆被爆者協会名誉会長は「本当に日本での治療が必要な被爆者は体が弱り、渡日さえできない」とその有効性に疑問符を付ける。

検討会の報告を受け、在外被爆者問題への対応を迫られる国。二十六日には李裁判の一審判決が長崎地裁で言い渡され、再び同問題への司法の判断が示される。李康寧・広瀬方人裁判を支援する会の平野伸人事務局長は言う。「国が援護法の枠外での支援策を講じるのなら問題解決の先送りでしかない。在外被爆者が、本当の意味で救済されるまで訴え続ける」。運動の終着駅はまだ見えない。