託された「宿題」
 =高校生平和大使の報告= 1

高校生平和大使から署名簿を受け取ったエンリケ・ロマン・モレー国連軍縮局ジュネーブ部長=スイス・ジュネーブ、国連欧州本部

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託された「宿題」 =高校生平和大使の報告= 1 未来への決断
英語スピーチに達成感

2001/09/03 掲載

託された「宿題」
 =高校生平和大使の報告= 1

高校生平和大使から署名簿を受け取ったエンリケ・ロマン・モレー国連軍縮局ジュネーブ部長=スイス・ジュネーブ、国連欧州本部

未来への決断
英語スピーチに達成感

「スピーチを聞きながら、目を潤ませていたんです」

八月二十四日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部の一室。エンリケ・ロマン・モレー国連軍縮局ジュネーブ部長を前に、英語でスピーチした高校生平和大使の一人、堤千佐子(長崎東高三年)は会談の終了後、興奮気味にこう話した。スピーチに聞き入った同部長の目に、光るものを見たからだ。「私たちの話を真剣に聞いてくれた」。直前まで何度も練習して臨んだスピーチ。達成感が大使らを包んだ。

長崎の平和、市民団体などでつくる「核兵器の廃絶を願い、全ての核実験に反対するネットワーク」が一九九八年から派遣している高校生平和大使。公募で今年選ばれたのは、いずれも被爆三世の堤、野副由布子(長崎北陽台高二年)、能木絵美(大村高二年)。三人は順に熱のこもった口調でスピーチ、「世界の核廃絶への努力」を促した。

堤が、同部長の変化に気付いたのは、祖母の被爆体験について語った野副のスピーチのときだった。

当時北高高来町に住んでいた野副の祖母、ハルヨ(75)は、長崎原爆後の一九四五年八月十一日、父親とともに爆心地から八百メートルの県立長崎工業学校に、当時十七歳の妹を捜しに行き、入市被爆した。多くの黒こげになった遺体の中から、体格がよく骨太だった特徴だけを頼りに、妹と思われる遺骨を持ち帰ったという。

ハルヨが「体験」を初めて語ったのは野副が六月に平和大使に選ばれた後だった。「生き地獄の惨状を息子にも話したことはなかったが、妹が亡くなったのと同じ年になった孫が大役を務めるのも巡り合わせと思った」と振り返る。

野副は祖母の話を五十六年前の被爆の実相として話した。「おばあちゃんが涙ながらに語ってくれた悲しみを伝えなければ」。野副のそんないちずな思いが、同部長の心を動かした。

能木は、三人を含む本県の高校生が取り組み、高校生や大人ら計二万八千人分の署名簿を同本部に持参した「高校生一万人署名」の意義を説明、「平和な世界の実現を願う心が込められています」と訴えた。

署名簿を受け取った同部長は高校生たちに静かに語り始めた。「私たちはもはや、あなたたちの決断を受け入れる世代となってしまった。未来に向け核廃絶の決断を下すのは、あなたたちに与えられた『宿題』なのです」。その言葉は、若者が核廃絶運動の主役となる時代が訪れたことを強く印象づけた。(文中敬称略)