癒えぬ心の傷
 =未指定地域の「被爆者」たち= 4

展望台から長崎市を望む錦戸さん=西彼香焼町

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癒えぬ心の傷 =未指定地域の「被爆者」たち= 4 錦戸 宏一さん(64) 西彼香焼村(現在の香焼町)で「被爆」

爆風で多くが家屋損壊

2001/06/24 掲載

癒えぬ心の傷
 =未指定地域の「被爆者」たち= 4

展望台から長崎市を望む錦戸さん=西彼香焼町

錦戸 宏一さん(64) 西彼香焼村(現在の香焼町)で「被爆」

爆風で多くが家屋損壊

西彼香焼町の高台にある展望台に立つと、長崎市の中心部が望める。「こんなに近いのに、どうして(香焼は)指定地域に入らないのか…」。爆心地から同じ距離で被爆地域に指定されている所があることを考えると、錦戸さんは合点がいかないといった表情で爆心地方向を見詰め続けた。

暑い夏の日だった。庭をほうきで掃いていると、突然、目もくらむ青白い光が走った。「まるで近くに太陽が落ちたような明るさだった」

「早く防空ごうへ逃げなさい」―。光に驚いた母親が家の中から絶叫した。そばで遊んでいた弟の手を引っ張り、無我夢中で防空ごうに潜り込もうとした瞬間、背後から爆風がすさまじい音を立てて通り過ぎた。

それからどれくらいの時間がたっただろうか。恐る恐る防空ごうの外へ出ると、爆風で近所の家の窓ガラスが割れていた。記録によると、香焼村では全五百十二戸のうち、四戸が全壊。ほかに一部損壊が三十戸、窓ガラス破損に至っては二百七十三戸に上った。海岸には、長崎市方面から多くの死体が漂着したという(長崎原爆戦災誌)。

数日して、原因不明の微熱が約二週間続いた。最近は貧血に悩まされている。年齢を重ねるにつれ、健康への不安は募るばかりだ。

昨年八月、伊藤長崎市長や金子知事ら本県関係者が、厚生省に津島雄二厚相(当時)を訪ねて被爆地域拡大是正を求めた要請行動に、錦戸さんも未指定地域住民の代表の一人として参加。津島厚相らを前に、代表六人がそれぞれの「被爆」体験を語った。

最後に発言した錦戸さんはこう締めくくった。「私たちの切実な声を(国は)深く受け止めてほしい」。与えられた持ち時間はわずかだったが、五十余年の思いを精いっぱいぶつけた。

あれから十カ月。被爆地域拡大問題について「科学的、合理的根拠の低さ」を理由に、見直しには長年否定的だった国は専門家による検討会を設置。未指定地域住民らを対象とした現地調査が実施されるなど、流れは大きく変わった。そして審議はいよいよ大詰めを迎えようとしている。

「大臣は、私たちの訴えをうなずきながら聞いてくれた」。その後、首相も大臣も代わったが、錦戸さんは祈るような気持ちで、国の最終判断を待っている。

メ モ
◆長崎の原爆被爆地域 一九五七年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」で、当時の長崎市とそれに隣接する町村の一部が指定。その後、七四年、七六年の二回の法改正で「健康診断特例区域」が指定され、現在の形となった。