戦争を語る まちの資料館 2

戦争体験のない崎山さん。「力の結集が困難な時代」に、手探りで岡さんと同じ目標を追い掛ける=長崎市西坂町

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戦争を語る まちの資料館 2 岡まさはる記念長崎平和資料館

2000/08/12 掲載

戦争を語る まちの資料館 2

戦争体験のない崎山さん。「力の結集が困難な時代」に、手探りで岡さんと同じ目標を追い掛ける=長崎市西坂町

岡まさはる記念長崎平和資料館

観光客でにぎわう長崎市の二十六聖人記念館。「岡まさはる記念長崎平和資料館」は、そこからわずか百メートルのところにひっそりと建つ。観光パンフレットには載らない戦争資料館―。

右手に軍刀、左手に切り取った生首をぶら下げた日本兵が、薄笑いを浮かべている。地面に並べられたいくつもの生首、ごみのように捨てられた死体の山―。太平洋戦争中、日本のアジアにおける加害責任を徹底糾弾する展示内容。同じ戦争を扱っていても、長崎原爆資料館(同市平野町)とは対極にある。

岡正治さんが逝ってから六年が過ぎた。牧師として赴任した長崎で強制連行や韓国・朝鮮人被爆者の実態調査に取り組み、日本政府の加害責任追及と戦後補償の実現を訴え続けた。死の翌年、仲間たちが手弁当で資料館を立ち上げた。

闇に光当てる

同資料館運営協議会事務局長・崎山昇さん(41)=長崎市青山町=もその中にいた。「マルクスさえ読んだことのない典型的なノンポリ学生」は、大学卒業後県職員となり、先輩に勧められるまま労働組合の青年部活動に参加。国労闘争を題材にした演劇の公演を通じて、岡さんを知った。

朝鮮人強制連行の実態調査にも同行した。「当時を知る人を探し当て、克明に証言を聴き取る姿に、強い信念と使命感を感じた。でも正直、何もそこまで、と思うこともありました」。「被爆都市ナガサキ」の闇(やみ)に光を当てる―信念に基づく岡さんの行動は時に排他的と映り、周囲と摩擦を生じた。

岡さんの活動の原点は明確だった。旧海軍江田島兵学校教員時代、広島の原子雲を目撃。天皇に戦争終結を直訴しようとして監禁され、終戦を迎えた。十一年間の海軍生活で、戦争反対のため体を張って闘ったのがわずか六日間しかなかったことへの悔恨である。

見えない答え

戦争体験も、岡さんの激しさも持ち合わせていない自分が、いつの間にか岡さんと同じ目標を追い掛けている。なぜなのか、崎山さん自身よく分からない。「平和運動に力を結集するのは困難な時代だと思う」。自分の答えが見つかれば、こんな時代も乗り越えられるのかもしれない。だが、「やれる者がやれるだけのことをすればよい」というのもまた、岡さんの口癖だった。

資料館の三階に通じる階段で、崎山さんは少し照れながら写真撮影に応じた。窓から差し込む一筋の光は、壁の「日本はアジアで何をしたか」の文字を浮かび上がらせていた。

◆メモ
一九九五年開館。「侵略」「強制連行」「韓国・朝鮮人被爆者」など6つのコーナーに、写真や資料、遺品などを展示。来館者の多くは県外からの修学旅行生。〒850-0051、長崎市西坂町9の4。