被爆者5団体の要望書を安倍首相(左)に手渡した川野さん

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非核の願い 国境を超え 被爆者・川野浩一の軌跡【5】完 調査団派遣 信念を胸に出生の地へ

2018/07/31 掲載

被爆者5団体の要望書を安倍首相(左)に手渡した川野さん

調査団派遣 信念を胸に出生の地へ

 「総理、あなたはどこの総理ですか」
 昨年8月9日、長崎市。長崎の被爆者5団体が安倍晋三首相に被爆者支援などの要望書を手渡す毎年恒例の場で、川野浩一は首相に面と向かって切り出した。
 首相の返事はなかったが、その顔はみるみる赤くなったように見えた。
 川野は怯(ひる)まなかった。なぜ日本は唯一の戦争被爆国なのに核兵器禁止条約に賛同しないのか、なぜ米国の「核の傘」に依存したままなのか-。被爆地の憤まんをぶつけるように川野は首相に直言した。
 「私たちを見捨てるのですか。今こそ核廃絶の先頭に立つべきです」
 あれから1年。川野は当時の心境を振り返る。「いつも『お願いします』だけではだめだ。日本のトップに直接思いを伝えられるのはここしかなかった。何か言わないと気が済まなかった」
 そんな川野の姿勢を評価した一人が、核廃絶運動の理論的支柱で被爆者の故土山秀夫(元長崎大学長)だ。土山は「平和運動のリーダーとして期待している」と川野を励まし、川野も土山を敬愛した。だが、その土山も昨年9月に世を去った。川野は寂しさをこらえつつ、土山らが日本の「核の傘」脱却の切り札とした「北東アジア非核兵器地帯構想」実現の訴えを引き継ぐ考えでいる。
 同構想では、日本、韓国、北朝鮮が非核兵器地帯をつくり、関わりの深い三つの核保有国(米ロ中)が、非保有国に対して核兵器を使用しないと約束する安全の保証を提供する。
 川野は、6月の米朝首脳会談で掲げた「朝鮮半島の完全非核化」の行方を注視するが、具体的プロセスは見えないまま1カ月以上が過ぎた。「会談はトランプ大統領の中間選挙向けのアピールだった」とみて、いら立ちを隠さない。ただ米朝首脳が融和の姿勢を示したこと自体は大きな前進といえ、「見守っていきたい」と希望は捨てていない。
 同構想を推進する長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA=レクナ)の鈴木達治郎センター長は「政府間の対話では限界がある。文化やスポーツなどさまざまな団体が民間レベルの交流を重ねることが重要で、非核化に向けた信頼関係を構築できる」と指摘する。
 米朝首脳会談を受け、民間でできることは何か。
 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)は、北朝鮮の被爆者の実態調査や非核化を巡る政府関係者との意見交換のため本格的な調査団を10年ぶりに今秋にも派遣。川野も原水禁の議長として参加を決めた。
 北朝鮮政府関係団体によると、2008年発表の調査では同国の1911人が原爆被害に遭い、うち382人が存命という。だが実態は不明で、被爆者援護施策から事実上置き去りにされている。
 「彼らの救済が、やがては非核化につながる」
 川野は信念を胸に、再び出生の地を踏む。