銃爆撃を受け、黒煙を上げる「第43日ノ丸」の映像=1945年、平戸市宮ノ浦湾(沖縄県公文書館所蔵、平戸・生月戦跡研究会提供)

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戦争の記憶2026ナガサキ 「第43日ノ丸」空襲の米軍の映像発見…戦跡研究会が特定「最後の様子生々しく」

2026/06/08 掲載

銃爆撃を受け、黒煙を上げる「第43日ノ丸」の映像=1945年、平戸市宮ノ浦湾(沖縄県公文書館所蔵、平戸・生月戦跡研究会提供)

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月7日、平戸市南部の宮ノ浦湾(野子町)で、旧日本海軍の特設駆潜艇「第43日ノ丸」が米軍機の空襲を受けて沈没した。同市の市民団体「平戸・生月戦跡研究会」(田中まきこ会長、約20人)は、当時の戦闘の様子を記録した米軍の映像資料を見つけ特定した。急降下し執拗(しつよう)に銃爆撃を浴びせる米軍機と、立ち上る水柱の中で黒煙を上げる艦船の姿が、空撮映像で収められている。

 同会によると、映像は4月下旬に発見。同会メンバーが大戦中に運用されていた米軍哨戒機「PB4Y-2」について、沖縄県公文書館の所蔵資料を調べていた際、同機が出撃する映像の中に、平戸市南部の見覚えのある地形が映り込んでいるのを偶然見つけた。

◆一致した地形
 同会は5月13日、海上から市南部の地形を調査。映像にあった陸地が志々伎山の尾根などと一致していることを確認した。さらに日米双方の公文書を調べ飛行ルートを照合。映像が日米両国の公文書の記録に残る宮ノ浦湾空襲を撮影した資料と特定した。住民らへの同会の聞き取り調査では「被災した船の乗組員らが宮ノ浦湾近くの高島に搬送され、風呂場で血を洗い流すなど島民が総出で看病した」などの証言が得られている。

◆公文書に記録
 宮ノ浦湾空襲については日米に残る公文書に詳しい記録が残っている。アジア歴史資料センターが所蔵する旧日本海軍「佐世保防備隊」の記録によると、45年6月7日午前10時28分、天候不良のため宮ノ浦湾に避難停泊し、出港準備をしていた第43日ノ丸が米軍機2機を発見。同33分に戦闘が始まり、同船は機銃で反撃したものの、銃撃や爆撃を受けて発火、同40分に沈没した。約10分間の交戦で乗組員17人が戦死し、2人が重傷を負う惨事となったとある。

 米軍のレポートは、空襲したのは沖縄県読谷村の飛行場を離陸し対馬方面へ向けて北上した「PB4Y-2」2機だったとし、当時の最新兵器である自動追従爆弾の投下テストを試みたが機能しなかったという記録がある。

◆戦禍を物語る
 映像資料は全体で10分26秒のモノクロ無音声。基地での弾薬補給や離陸準備、飛行中の機体の映像などが記録されている。このうち、第43日ノ丸への攻撃の場面は約1分間で、激しい銃撃によって船体の周辺に次々と水柱が上がり、逃げ場を失った艦船から黒煙が上がるまでが撮影されている。沈没までの様子は映っていない。

 田中会長は「当時の戦禍を物語る貴重な資料。第43日ノ丸の最後の様子がその場にいるかのように生々しく伝わってくる」と話す。

 同会は7月17日午後1時半から、宮の浦漁民研修センター(野子町)で開く講演会(野子地区まちづくり運営協議会主催)で、この映像を公開する。戦時中、宮ノ浦湾上空には米軍機が頻繁に飛来していたという目撃情報もあり、同会は「映像を見ることで、当時の記憶がよみがえる人もいるかもしれない。新たな証言の発掘につなげたい」としている。