肉弾三勇士と呼ばれた北川丞の記念館で遺影を見つめる哲男さん=北松佐々町江里免
116年前の3月8日、後に「肉弾三勇士」と呼ばれる北川丞(すすむ)が北松佐々町(当時は佐々村)に生まれた。1932年の上海事変で戦死した丞ら3人を、当時の軍やメディアは三勇士として美談にして、戦意高揚に利用した。丞の遺影などが残る記念館が今もひっそりと町内で運営され、1人の青年の戦死を伝え続けている。
■軍称賛に新聞追従
町郷土誌などによると、丞は明治末期の1910年3月、佐々の農家の次男として生まれた。丞の父、権作は日清戦争、日露戦争に従軍。丞は後を追うように陸軍に入隊した。
1931年に満州事変が勃発し、日中は対立を深める。翌32年に上海事変が起こり、同年2月22日の上海付近での戦闘で丞、江下武二、作江伊之助の3人が戦死した。丞は21歳の若さ。死後、伍長に昇進した。
日本軍は、3人は爆弾を抱えて敵陣に突撃し鉄条網を爆破したとして「覚悟の自爆」と称賛。新聞報道も追従し「忠烈の花と散った三勇士」などと、特攻を美化した。爆弾三勇士とも称された。
■今の世に何を思う
丞の記念館は旧平戸街道沿いの同町江里免にある。丞の死後、“英雄の殉国”に対して全国から手紙や書などが寄せられた。間もなく住民らが生家の宅地内に木造の記念館を設けた。
今残る記念館は面積約40平方メートルの鉄筋コンクリート平屋。丞の兄、伝一郎の孫の哲男(78)が守り継いでいる。遺影や賞状、手紙などの展示品が淡々と並ぶが、普段は一般公開しておらず、見学の要望があれば個別に対応している。近年は1年に20人ほど興味を持った人が来る。佐世保市に赴任してきた自衛官を案内することが多いという。
哲男は父の公(ひろし)から丞の歴史を聞いて育った。「国のために命をささげるのが当然の時代だったからね。(丞が)軍神とされ、天国でどう思っていたか、それは分からない」と話す。
ロシアのウクライナ侵攻や米国のイラン攻撃などのニュースが流れてくるたび、「市民があまりにもかわいそう」と胸を痛める。高市早苗首相のタカ派的姿勢にも不安を感じている。「国のために若者が命を落とすような世はよくない」
町内にある三柱神社には、武装して勇ましい姿の丞の銅像が残されている。今の世界を見て、彼は何を思うだろうか。=文中敬称略=
