愛野村国民学校(現・雲仙市立愛野小)近くの防空壕跡を案内する田尻さん(左)と大石さん。今では穴のほとんどが埋められている=雲仙市愛野町

ピースサイト関連企画

戦争の記憶2026ナガサキ 大石初藤さん(88)、田尻虎夫さん(87)=雲仙市愛野町= 生死分けた未完成の防空壕 空襲で児童14人犠牲、心に爪痕

2026/02/02 掲載

愛野村国民学校(現・雲仙市立愛野小)近くの防空壕跡を案内する田尻さん(左)と大石さん。今では穴のほとんどが埋められている=雲仙市愛野町

 「あと半月早く終戦を迎えていたら…」
 1945年7月30日、南高愛野村(現雲仙市愛野町)の国民学校近くを米軍機が爆撃し、児童14人の命を奪った。共に同町在住で空襲を体験した大石初藤さん(88)と田尻虎夫さん(87)は難を逃れたが、身近な人が犠牲になった。80年以上が過ぎた今も、悲しみが癒えることはない。
 当時、大石さんは愛野村国民学校(現市立愛野小)の2年生、田尻さんは1年生。空襲の日は竹やりなどの訓練で、児童約130人が校庭に集まっていた。
 愛野町郷土誌によると、午前10時35分、警戒警報が発令された。児童は約300メートル離れた雑木林にある防空壕(ごう)を目指し、集落単位の班に分かれて逃げた。
 防空壕は10カ所あった。集落は逃げる順番が定められていて、早く避難した大石さんは防空壕の奥に入ることができた。別の班だった田尻さんも手前側に逃げ込んだ。だが、穴が狭いため、入れなかった子どもたちもいた。それが生死の分かれ目になった。
 壕の中は真っ暗。大石さんは先生から「目と耳ばふさげー」と言われ、左右の親指で耳を、残り4本の指で目をふさぎ、じっとしていた。
 壕の外で2機の航空機が旋回する音がした。午前11時ごろ、6発の爆撃があり「バラバラバラ」と山が崩れる激しい音がした。
 郷土誌によると、児童は爆風の影響で約10人が土砂を浴び、約40人が水田に吹き飛ばされた。
 死者は14人。犠牲者の名前は愛野小そばの忠魂碑に刻まれている。大石さんの同級生だった坂上愛子さんや、田尻さんの姉の子で5年生だったおい、田尻輝夫さんも尊い命を奪われた。
 虎夫さんは「よく一緒に虫捕りをして遊んでいたおいが亡くなり、涙が出た」と悲しい記憶を語る。
 防空壕跡は今も残っている。横穴式で幅約1メートル、高さ約1・5メートル。2人は「未完成で、奥行きが浅かった。もっと深かったら全員が助かったかもしれない」と悔しがる。
 惨事は2人の心に大きな爪痕を残した。大石さんは「運動会のピストルの音がすると戦争を思い出すから嫌だ」とうつむく。「ロシアのプーチン大統領や米国のトランプ大統領は人類愛を知ってほしい。戦争をしないで」と願う。
 虎夫さんは戦争を知る世代がいなくなることを危惧する。「戦争の悲惨さや恒久平和の大切さを訴えなければ。7月30日を『愛野空襲の日』と定め、亡くなった人の冥福を祈る日にしてほしい。忘れてはいけない」と訴えた。