元壱岐高の球児、地元でミニライブ 原点は共に白球追った亡き友…思いつづった曲熱唱 長崎

長崎新聞 2025/05/09 [12:08] 公開

地元で初のミニライブをした小嶋さん=壱岐市芦辺町

地元で初のミニライブをした小嶋さん=壱岐市芦辺町

  • 地元で初のミニライブをした小嶋さん=壱岐市芦辺町
  • 壱岐高野球部の練習で一緒にランニングする辻村さん(右)と小嶋さん(遺族提供)
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長崎県壱岐市出身の元高校球児で、福岡を拠点にシンガー・ソングライターとして活動する小嶋蒼さん(21)が4日、地元で初めてのミニライブを開いた。プロデビューを目指す小嶋さんの原点は小中高と一緒に白球を追い、急逝した亡き友の存在だ。

 小嶋さんは元県立壱岐高野球部員。同じ部員に、幼稚園から一緒に過ごしてきた同い年の辻村怜聖さんがいた。だが、2年生だった2020年9月、辻村さんは遠征先の大村市で倒れ、急逝。17歳だった。

 辻村さんは音楽ユニット、ビーグルクルーのファンだった。ビーグルクルーが高校球児を応援するため生歌やCDを届ける活動をしていることを知った辻村さんの父勝さんが、夢半ばで急逝した息子のこと、息子の分まで頑張ったチームメートが翌21年の県大会でベスト8の成績を残してくれたことなどをつづって応募。その思いを受け止めたビーグルクルーのYASS(やす)さんが22年3月、「怜聖さんのために歌いたい」とほかの仕事をキャンセルして壱岐高に駆け付け、辻村さんの遺族、野球部員や卒業したばかりのOB、関係者の前で追悼ライブを開いた経緯がある。

 ライブ会場には小嶋さんの姿もあった。21年、長崎日大との接戦を制しベスト8入りを決めた試合では投手を務め、完封するなど活躍したが、肘の故障などで野球を断念。元々、歌うことが好きだったが、YASSさんのライブで歌を聴いて音楽に特別な力があることを感じたことがシンガー・ソングライターを目指すきっかけになった。

 今は福岡で仕事の傍ら、ボイスレッスンに通い、福岡や大阪などで路上ライブをしたり、交流サイト(SNS)で音楽配信したりして活動している。YASSさんに、あの時の追悼ライブがシンガー・ソングライターを目指すきっかけになったことなどを話すと、そのライブで披露された「17の輝跡(きせき)」を歌うよう勧められた。歌は勝さんが怜聖さんへの思いをつづった歌詞にYASSさんが曲をつけたものだった。この曲を、まず壱岐の人に聞いてほしいとの思いから、古里での初ライブを決めた。

 芦辺町の商業施設前広場で開いたミニライブでは、カバーソングや自身がリリースした「晴空」「手と手」などを披露。100人以上の聴衆が集まる中、最後に「17の輝跡」を熱唱すると、大きな拍手に包まれた。小嶋さんは「多くの人が来てくれてうれしかった。今後は事務所に所属してメジャーデビューを目指して頑張りたい。壱岐の方はもちろん、たくさんの方に自分の歌を聴いて応援してほしい」と話した。