1世紀前に長崎でハロウィーン? 仮装の集合写真、専門家「不思議で興味深い」が「記録ない」

2022/10/30 [10:20] 公開

昭和初期に長崎市南山手町の洋館内で撮影されたとみられる写真。仮装した人が写っている(中島眞行さん提供)

 1928(昭和3)年ごろ、長崎市で撮影されたとみられる写真の情報が長崎新聞社に寄せられた。男女19人が写り、その多くが仮装。持ち主の同市諏訪町の中島眞行さん(85)によると、撮影場所は同市南山手町の洋館。中島さんは仮装の雰囲気から「長崎では当時からハロウィーンを祝っていたのでは?」と考え、情報を寄せた。真相は-。
 中島さんによると、写真は約20年前に自宅で見つけた。最後列の右端に写っている女性が母、中島(旧姓・杠葉)サヨさん。1908(明治41)年生まれで「結婚前の20歳ごろではないか」(中島さん)。サヨさんの兄は精神科の医師で、南山手町に長崎脳神経科病院(現在の杠葉病院)を開業している。
 市の資料によると、「旧杠葉本館」として現存する洋館は1893年から米国領事館兼私邸。1924年からは「杠葉氏が個人宅を兼ねた病院として使用していた」とある。

旧杠葉本館=長崎市南山手町

 長崎総合科学大特任教授で明治開国以降の長崎の外国人居留地研究の第一人者、ブライアン・バークガフニ氏に写真を見てもらった。「不思議で興味深い」としながらもハロウィーンを祝った仮装と考えるのは「難しい」とした。「現在イメージするハロウィーンは主に米国の習慣。南山手に多く住んでいた英国人がハロウィーンを祝っていたという記録はない」
 ただ、外国人が「仮装してダンスパーティーを開いていた記録はある」と言い、その影響を日本人が受けた可能性はありそうだ。
 中島さんによると、サヨさんが若い頃、20年代に米国で流行したとされるダンス「チャールストン」を踊っていたと聞いたことがあるという。中島さんは「当時の長崎はハイカラだったと思う」と笑顔で話した。