「鷹島海底遺跡」の元寇船調査 木板に墨で当時の元号、船内から発見 長崎県松浦

長崎新聞 2026/04/11 [10:20] 公開

木板を赤外線撮影して作成した実測図。左側に元寇の時代と重なる元号と年数の「至元十二年(または十三年)」と判読できる文字がある(松浦市教委提供)

木板を赤外線撮影して作成した実測図。左側に元寇の時代と重なる元号と年数の「至元十二年(または十三年)」と判読できる文字がある(松浦市教委提供)

  • 木板を赤外線撮影して作成した実測図。左側に元寇の時代と重なる元号と年数の「至元十二年(または十三年)」と判読できる文字がある(松浦市教委提供)
  • 鷹島海底遺跡で発掘された貴重な文字資料となる木板=松浦市役所
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松浦市教委は10日、鎌倉時代の元寇(げんこう)の遺物が数多く見つかっている鷹島沖の「鷹島海底遺跡」で進めている発掘調査で、2024年に確認された沈没船内で見つかった「墨書木板」を公開した。漢字で墨書きされた元の時代の元号などが残っており、解読を担当した広島大大学院の舩田善之准教授は「モンゴル帝国の日本遠征を歴史学的に研究する上でも、これまで存在しなかった唯一無二の資料」と評価する。

 鷹島沖でこれまで発見された遺物約4千点のうち、文字資料となるのは銅銭を除いて14点とされるが、印鑑類や陶磁器などが主。墨で手書きされた木板であることや文字量の多さ、船内で見つかったことなど、類を見ない発見となった。

 市教委文化財課によると、墨書木板は縦12センチ、横25・2センチ、厚さ0・9センチの杉板。24年に確認された3隻目の沈没船の調査中に船底から見つかった。発見の段階で墨書の跡が確認できていたが、引き揚げ後の急速な劣化を防ぐため、今年2月まで保存処理に時間を要した。その後、赤外線撮影などを実施し、文字の解読に臨んだ。

 文字は木板の片面で確認。左端に元の時代の元号である「至元」と「十二年(または十三年)」を示す漢字が書かれており、元が最初に襲来した「文永の役」(1274年)の1、2年後に当たる。舩田氏らは、2度目の「弘安の役」(81年)で沈んだ船で、「何らかの機能を果たしていた」とみている。

 板の上部には0・4センチほどの穴が二つあり、船内の壁にくぎなどで取り付けていた可能性もある。墨書きは文字が完全には残ってはいないが、同じく解読に当たった九州大の佐伯弘次名誉教授は▽公文書▽掲示物▽リスト類-のいずれかとの見方を示し、外部の研究者の目に今後触れることで全容解明につながることを期待した。

 鷹島沖では、「弘安の役」で、約4400隻の艦隊が暴風雨に遭い壊滅したとされる。1980年から調査が続き、1隻目が見つかった海域は2012年、海底遺跡として国内初の国史跡「鷹島神崎遺跡」に指定された。

 墨書木板は今月28日から5月10日まで、市立埋蔵文化財センター(長崎県松浦市鷹島町)のガイダンス施設で一般公開を予定している。