亀谷徳次郎撮影 ガラス写真確認 西彼・下岳村の大地主 朝長政右衛門 肖像 「資料少なく、非常に貴重」

長崎新聞 2025/08/13 [12:00] 公開

きり箱に入れられていた朝長政右衛門の写真

きり箱に入れられていた朝長政右衛門の写真

  • きり箱に入れられていた朝長政右衛門の写真
  • 祖先の朝長政右衛門のガラス写真を見る朝長紀文さん(右)と妻のやよいさん=西海市西彼町の自宅
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長崎で活躍した写真家、上野彦馬(1838~1904年)に師事した亀谷徳次郎(1826~85年)が撮影したガラス写真(アンブロタイプ)1枚が、西海市で確認された。71(明治4)年に撮影された西彼杵郡下岳村の大地主、朝長政右衛門(44~1913年)の肖像写真。彦馬らの研究家で鑑定に当たった長崎大名誉教授の姫野順一さん(77)によると、亀谷が撮影したガラス写真はこれまでに数点しか確認されていない。「亀谷の資料は少なく、非常に貴重」としている。
 亀谷は現在の山口県出身。姫野さんによると、出島でオランダ人から写真術を学んで彦馬に師事し、後に日本人初の女性写真家となる娘トヨを連れて1865年ごろ京都へ移り住んだ。知恩院そばの茶屋で写真業を営み、京都の写真術の開祖とされる堀内信重(41~76年)、堀与兵衛(26~80年)らに技術を伝授した。
 68年ごろ長崎に戻り、長崎市今下町(現在の賑町)で写真館を開業。74年、米国隊の金星観察に協力していた彦馬の手伝いをした後、ロシア・ウラジオストクに写真館を開き、ロマノフ王朝の仕事にも従事した。85年にウラジオストクで生涯を閉じた。
 ガラス写真は縦11センチ、横8センチ。朝長政右衛門の子孫、朝長紀文さん(75)宅(西海市西彼町)に、紙焼きの写真と共に、きり箱の中に保存されていた。ガラス写真は白黒が反転した画像(ネガ)をガラス板に焼き付けたもの。背後に黒布を敷くなどして白黒が反転した正常な画像(ポジ)が見られる状態で、きり箱に入れて提供された。
 きり箱には「明治四年未十一月廿四日 歳弐拾八才 朝長政右衛門 長崎今下町ニ而 写代金子百疋(ぴき)箱壱朱」と書かれていた。「百疋(現在の2580円相当)」は写真代とみられる。写真の背景の大柱が、別の写真に写った亀谷の写真館と同一だったことから鑑定できた。
 紀文さんによると、政右衛門は西彼杵郡下岳村の大地主で、土地やお金の貸し付けを行っていた帳簿が残っている。朝長さんは「先祖を大事にしてきたからこそ、写真がいまだに残っていた。感動したし、このガラス板写真を誇りに思う」と話した。