メクル第400号 丁寧に人と向き合って 「劇団EXILE」リーダー 秋山真太郎さん=長崎市出身=

2019/09/22 [11:45] 公開

「違うから衝突するのではなく、違うから楽しく、素晴らしいことが生まれる」と語る秋山さん=長崎市、長崎大付属中

 舞台(ぶたい)や映画(えいが)などで活躍(かつやく)する「劇団(げきだん)EXILE(エグザイル)」のリーダー、秋山真太郎(あきやましんたろう)さん(37)は俳優(はいゆう)としてさまざまな作品に出演(しゅつえん)するだけでなく、映画などの脚本(きゃくほん)やプロデュースも手掛(が)けています。7月には初めての小説を書き下ろしました。そんなマルチな秋山さんにこれまでの歩みや仕事への思いを聞きました。 

 小学生のころは、活発で目立ちたがり屋。少年ソフトボールの強豪(きょうごう)チームのメンバーでした。長崎大付属(ふぞく)中ではバスケットボール部に所属。先日、22年ぶりに訪(おとず)れ、講演会(こうえんかい)の講師(こうし)を務(つと)めました。体育館の倉庫で初恋(はつこい)の人に告白し、ふられたエピソードも紹介(しょうかい)しました。
 高校のころは都会にあこがれ、「俺(おれ)の居場所(いばしょ)は長崎じゃない」といきがっていました。今は、長崎生まれが自慢(じまん)。長崎で培(つちか)った価値観(かちかん)を持っていることが強みになっています。
 福岡(ふくおか)県での大学時代、モデルのアルバイトをしているときに東京で俳優(はいゆう)になりたいという気持ちが芽生えました。その気持ちは次第に強くなり、2年で中退(ちゅうたい)。バイクで2週間かけて上京しました。今は応援(おうえん)してくれている母も、当時は大反対でした。
 東京・池袋(いけぶくろ)でチラシ配布(はいふ)のアルバイトをしていたとき、狙(ねら)い通りスカウトされ俳優になりました。しかし、25歳(さい)くらいまではほとんど仕事がなかったためにアパートも借りれず、友達の家を転々としていました。アクションの練習中に首の骨(ほね)を折ったこともあります。それでも、あきらめませんでした。
 2009年、念願の「劇団EXILE」のメンバーになり、活動が本格化(ほんかくか)。多様な現場(げんば)に対応(たいおう)するため、こだわりを持たないように努めています。個人的(こじんてき)に興味(きょうみ)を持って取り組んでいる脚本(きゃくほん)やプロデュースについては「自分がおもしろいと思えるもの」にこだわっています。
 被爆(ひばく)3世。小説家としてのデビュー作となった短編(たんぺん)集「一年で、一番君に遠い日。」(7月発行、キノブックス)には、全20編の中に平和をテーマにした二つの作品を盛(も)り込(こ)みました。祖母(そぼ)から聞いた長崎原爆の話や、祖父が三菱(みつびし)長崎造船所(ぞうせんしょ)で戦艦(せんかん)「武蔵(むさし)」の建造に関わったことなども作品に影響(えいきょう)を与(あた)えていると思います。
 次は、長編(ちょうへん)小説を書くつもり。“0から1を生み出す”原作作りに魅力(みりょく)を感じています。
 人は何かのコミュニティーに属(ぞく)しています。協力してくれる仲間がいることがとても重要です。例えば、学校や会社には、いろんな考えの人が集まっています。多様性(たようせい)を意識(いしき)し、丁寧(ていねい)に人と向き合うべき。違(ちが)うから衝突(しょうとつ)するのではなく、違うから楽しく、素晴(すば)らしいことが生まれる。認(みと)め合い、意見を重ね合わせることで、その先に新しい景色が広がり、すごいことができる。そう思っています。

22年ぶりに母校を訪れ、後輩の質問に丁寧に答える秋山さん

 【プロフィル】あきやま・しんたろう 1982年7月8日生まれ。長崎市出身。市立滑石(なめし)小-長崎大付属(ふぞく)中-県立長崎北高卒。福岡(ふくおか)県内の公立大学を中退(ちゅうたい)し、俳優(はいゆう)になるために上京、2009年から「劇団(げきだん)EXILE」のメンバーとして活動を始める。今春公開した映画(えいが)「僕(ぼく)に、会いたかった」ではキャスト、脚本(きゃくほん)、プロデュースも務(つと)めた。身長184センチ。