外国人捕虜の古写真発見 旧日本軍のプロパガンダか

2019/03/01 [00:00] 公開

 太平洋戦争中、長崎市内の福岡俘虜(ふりょ)収容所第14分所の外国人捕虜が旧浦上天主堂で礼拝をする様子を撮影した写真8枚が、同市内で見つかった。関連文献によると、旧日本軍が、捕虜を適正に扱っていることを伝えるプロパガンダ(宣伝)として1943年に製作した映画フィルムの関連写真とみられる。
 被爆証言集を刊行している「長崎の証言の会」が2月中旬、同会代表委員でもあった鎌田定夫さん=2002年に72歳で死去=の自宅で遺品整理をした際に発見した。「長崎連合軍捕虜の写真 1944年頃」とメモが記された紙封筒に8枚が入っていた。長崎原爆で全壊する前の旧浦上天主堂に入っていく外国人捕虜を写したもののほか、礼拝の様子や建物の外観だけを撮影した写真もあった。
 長崎原爆戦災誌(同市編さん)によると、同分所は1943年に開設。同年4月時点でインドネシア系オランダ人やイギリス人ら470~480人が収容されていたとみられ、労働を強いられた。
 長崎の外国人捕虜と原爆に関する書籍「煉瓦の壁」(80年、現代史出版会発行)によると、旧日本軍は捕虜収容の実態を日本赤十字社に報告するため対外宣伝用の映画を製作。そのうちフィルムを切り取った21枚が発見され、内容について「レンガ作りの天主堂前の坂道を、捕虜たちが衛兵看視の下に行進して行くシーン、そして礼拝のシーンがある」などと記してある。ただ、「いずれのシーンもある程度『演出』されていることは容易に想像のつくところ」とも指摘した。ほかに、同分所に収容された元オランダ兵の著書でも写真付きで紹介されている。
 証言の会は21枚のうちの8枚とみており、今後調査をして刊行物で紹介したい考え。被爆者で事務局長の森口貢さん(82)は「写真の外国人捕虜は暗い顔をしており、虐待の様子がうかがえる。戦争がもたらす悲劇を伝えた貴重な資料だ」と話した。
 原爆関連の写真の収集・調査に取り組む長崎平和推進協会写真資料調査部会の松田斉部会長(63)は「戦時中の外国人捕虜に関する資料は終戦後にほとんどが消失しており、証言など断片的な資料しか残っていない。捕虜の日常がうかがえる点は意味がある」と話した。

旧浦上天主堂で礼拝をする外国人捕虜
旧浦上天主堂に入る外国人捕虜
礼拝を受ける外国人捕虜