長崎市平野町の長崎原爆資料館。ある展示品を、修学旅行の小学生たちが囲み、代わる代わる手を伸ばして触っていた。「ざらざらしてる」「こうなるんだ」…。
展示品は、同館が保管する「被爆瓦」の1枚。原爆の熱線で表面が溶けて泡立っている。その熱線を人間が浴びると、体はどうなるか。原爆の恐ろしさを感じ取ってもらうため、来館者が自由に触れるように置かれている。
こうした展示について、平和教育に長年携わった元小学校教諭で被爆者の山川剛(89)は「感性に訴えかけることができる。特に子どもは、手触りで記憶したり、心を動かされたりしやすいので、原爆について理解を深めるために最適だ」と評価する。
「被爆者のいない時代」が迫り、被爆の実相を伝える資料の価値が高まり、活用も試みられている。
同館は写真や被爆者が描いた絵に加え、展示品と同じような被爆瓦や高熱で溶けた瓶といった現物資料約1万1千点を保管している。被爆者の遺品などの寄贈も続き、2025年度に190点、24年度は586点が寄せられた。長崎市は22年度から、資料にまつわるエピソードを寄贈者らから聞き取っている。ゆくゆくは常設展示に反映させ、より身近に当時を感じてもらう考えだ。
だが、小学生たちが触っていた瓦の表面をよく見ると、中央辺りにツルツルしている部分がある。同館では1996年の開館当初から触れるように展示しているため、表面がすり減っているのだ。
学芸員の奥野正太郎(40)は「100年、200年と残さなければいけない貴重な資料だが、自分たちの代で活用しすぎて、被爆の痕跡が無くなるのは決して許されることではない」と話す。被爆3世の奥野は2008年、同館で初めての学芸員として採用された。被爆資料と向き合う中で「全ての資料が、原爆の証人」と気づいた。
この間の技術の発展で、3Dプリンターなどを使って現物そっくりに複製できるようになった。奥野は「修理をしたり、レプリカを作ったりしないといけないかもしれない。だが、現物でないと伝わらない生々しさが被爆資料にはある。そのバランスが難しい」と言う。
被爆者と同じように傷を負った「物言わぬ語り部」たちを、未来につなぐための模索が続く。=文中敬称略=
展示品は、同館が保管する「被爆瓦」の1枚。原爆の熱線で表面が溶けて泡立っている。その熱線を人間が浴びると、体はどうなるか。原爆の恐ろしさを感じ取ってもらうため、来館者が自由に触れるように置かれている。
こうした展示について、平和教育に長年携わった元小学校教諭で被爆者の山川剛(89)は「感性に訴えかけることができる。特に子どもは、手触りで記憶したり、心を動かされたりしやすいので、原爆について理解を深めるために最適だ」と評価する。
「被爆者のいない時代」が迫り、被爆の実相を伝える資料の価値が高まり、活用も試みられている。
同館は写真や被爆者が描いた絵に加え、展示品と同じような被爆瓦や高熱で溶けた瓶といった現物資料約1万1千点を保管している。被爆者の遺品などの寄贈も続き、2025年度に190点、24年度は586点が寄せられた。長崎市は22年度から、資料にまつわるエピソードを寄贈者らから聞き取っている。ゆくゆくは常設展示に反映させ、より身近に当時を感じてもらう考えだ。
だが、小学生たちが触っていた瓦の表面をよく見ると、中央辺りにツルツルしている部分がある。同館では1996年の開館当初から触れるように展示しているため、表面がすり減っているのだ。
学芸員の奥野正太郎(40)は「100年、200年と残さなければいけない貴重な資料だが、自分たちの代で活用しすぎて、被爆の痕跡が無くなるのは決して許されることではない」と話す。被爆3世の奥野は2008年、同館で初めての学芸員として採用された。被爆資料と向き合う中で「全ての資料が、原爆の証人」と気づいた。
この間の技術の発展で、3Dプリンターなどを使って現物そっくりに複製できるようになった。奥野は「修理をしたり、レプリカを作ったりしないといけないかもしれない。だが、現物でないと伝わらない生々しさが被爆資料にはある。そのバランスが難しい」と言う。
被爆者と同じように傷を負った「物言わぬ語り部」たちを、未来につなぐための模索が続く。=文中敬称略=

