生まれつき左手がない高校球児、「足」で甲子園メンバー入り 選抜出場の長崎西1年「勇気届けたい」

長崎新聞 2026/03/03 [11:30] 公開

甲子園のベンチ入りを決めた平木。次はチームの勝利のために全力を尽くす=長崎市、三菱球場室内練習場

甲子園のベンチ入りを決めた平木。次はチームの勝利のために全力を尽くす=長崎市、三菱球場室内練習場

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「君が頑張るとたくさんの人が勇気づけられると思うよ」と幼いころから父に言われてきた。

 第98回選抜高校野球大会(19日開幕・甲子園)に21世紀枠で75年ぶりに出場する長崎西。今春、走塁技術などを評価され、初めて公式戦でベンチ入りする平木悠喜(1年)は生まれつき左手首の先がない。「同じような障害がある人や、障害があるからスポーツを諦めている人に勇気を届けるプレーをしたい」

■この手はいつ大きくなる?
 左手で物をつかめないため、保育園のころに「この手はいつ大きくなるの?」と母、裕子さん(50)に尋ねたことがある。両親は心苦しかったが「大きくはならないんだよ」と息子にありのままの事実を伝えてきた。

 その少年が白球を追い始めたのは山里小1年時。3歳上の兄、崇太郎さんの影響もあり、山里クラブでソフトボールを始めた。両親はサッカーを勧めたが、自分の意志は曲げなかった。

 両親の心配をよそに、平木は持ち前の身体能力の高さを生かして上達していった。守備では右手にグラブをはめ、捕球すると瞬時にグラブを外して右手で送球。「誰かに教えてもらったわけではない。自分で編み出していた」。父、宏一さん(59)はそんな息子が誇らしかった。仲間たちと一緒に地道に成長を続け、硬式野球の長崎ポニークラブに所属していた長大付中3年時には、U-16日本代表に選出された。

■みんなと一緒
 卒業後は「公立校で野球をしたい」と小学生のころから親友の藤本真(1年)らとともに長崎西に進学。宗田将平監督(51)が当初、左手を気にして「配慮することがあれば」と言ってくれたが、即座に断った。「みんなと一緒にしてください。特別扱いをしなくて大丈夫です」。背番号は実力でつかみたかった。

 昨夏の甲子園で活躍した生まれつき左手指が欠損している選手の存在も刺激になった。県岐阜商のレギュラーとして5試合で5安打を放ち、公立校唯一の4強入りに貢献した横山温大(3年)の姿をテレビで見て、練習にさらに身が入った。「横山さんに勇気をもらった。今度は自分がと思った」

 打撃時に専用の器具を装着しても、左手は押すことしかできないため、打球は飛びづらい。「でも、走塁なら手は関係ない」。自分だけの武器を手に入れようと、スピード練習に力を入れた。冬季練習ではウエートトレーニングにも励み、身長173センチで58キロしかなかった体重は、65キロにまで増量。やれることは全部やってきた。

■最後の20番目
 迎えた2月25日の午後練習。甲子園のメンバーが発表され、最後の20番目に名前を呼ばれた。「ずっと選ばれたいと思って練習をしていたから…」。大粒の涙が頬を伝った。一緒にメンバー入りした藤本も自分のことのように喜んでくれた。「手のハンディがある中で、足という自分の長所を生かしてベンチ入りをした。一緒に入れてうれしかった」。努力が実った瞬間だった。

 約3週間後、夢の大舞台に立つ。宗田監督は「足が速いし、バントもうまい。勝負にこだわりたいので平木を選んだ。最大限のプレーをしてほしい」と願っている。

 そして誰よりも本人が期待に胸を膨らませている。「甲子園で盗塁をするという夢が実現できるかもしれないと思うとわくわくする」。16歳は高校野球の聖地に自らの足跡を残しにいく。