キリスト教のシンボルを隠蔽 江戸時代、長崎から海外に輸出か? 書見台がポルトガルに

長崎新聞 2026/04/17 [11:15] 公開

ポルトガルで見つかった書見台。中央部の丸部分に松の絵が描かれている(中村一郎氏撮影、東京文化財研究所提供)

ポルトガルで見つかった書見台。中央部の丸部分に松の絵が描かれている(中村一郎氏撮影、東京文化財研究所提供)

  • ポルトガルで見つかった書見台。中央部の丸部分に松の絵が描かれている(中村一郎氏撮影、東京文化財研究所提供)
  • 通常の書見台の中央部に描かれているイエズス会のIHS紋(パリ・チェルヌスキ美術館蔵)
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キリスト教信仰が禁じられていた江戸時代前期に、キリスト教のシンボルを切り取り隠蔽(いんぺい)した上で、長崎から海外に輸出したとみられる書見台がポルトガルで見つかった。調査した東京文化財研究所(東文研)によると初の事例という。東文研は「1630年代の長崎における厳しいキリスト教弾圧の実態をうかがわせる新資料」とみている。

 東文研の小林公治特任研究員(物質文化史)のチームが発表した。

 書見台はキリスト教のミサで神父が聖書を置く台。17世紀前半に来航したヨーロッパ人は蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)で飾った「南蛮漆器」と呼ばれる道具を京都で発注し、海外に輸出していた。南蛮漆器の書見台はポルトガルとスペインを中心に約40点が現存している。

 書見台の中央部には通常、修道会イエズス会のシンボルでイエス・キリストを意味する「IHS」の紋章が蒔絵と螺鈿で描かれている。2018年ごろにポルトガルで見つかった書見台(縦約51センチ、幅約31センチ)の中央部にはIHS紋がなく、漆で塗った上に松の絵が描かれており、小林氏のチームが調査していた。

 チームが24年、コンピューター断層撮影(CT)で書見台の中央部を調べると、IHS紋の痕跡が見つかった。このため、木地に固く接着されていた螺鈿のIHS紋を除去した上で、漆を厚く塗り重ね、松の絵を描いたと推測した。

 中央部に塗った漆は日本産と中国産が混じっていた。1640年代の平戸と出島オランダ商館長の日記には、中国産の漆を長崎で盛んに輸入していたという記述がある。チームは書見台が京都で製作され、輸出地の長崎でキリスト教のシンボルを隠す工作がされたとみている。

 江戸幕府は1614年、全国でキリスト教の信仰を禁じた。以降は弾圧が激しさを増し、多くのキリシタンが処刑された。

 小林氏は「キリシタン取り締まりが非常に厳しくなる中、輸出側の人物が禁制品の輸出を幕府側に知られたと思い込み、長崎の職人にキリスト教のシンボルを消すよう頼んだのではないか」と話している。