「被災地と長崎 私もつなぐ」被爆4世の中山さん(18) 今春、女川に移住

2023/03/11 [12:00] 公開

「被災地でいろんな人に出会い、長崎のためになるようなことがしたい」と話す中山さん=大村市松原本町

 東日本大震災から12年。津波で被災した宮城県女川町に長崎県大村市から移り住むことを決めた学生がいる。今月、通信制高校を卒業した中山珠緒さん(18)=同市松原本町=は今春から、被災地で復興の様子や町づくりの取り組みを学ぶ。「被災者が震災とどう向き合っているか、その思いや現地での活動を学びたい」

 中山さんは4月、「さとのば大学」に入学する。同大はキャンパスがなく、学生は全国10カ所にある拠点で生活しながらオンラインで受講。4年間で1年ごとに拠点を変え、地域住民と連携しながら社会課題の解決に向けたプロジェクトに参加する。一般的な大学と異なる市民大学の位置付けで、通信制大学を併用し大学卒業資格を取得できるという。
 中山さんが入学を決めた動機の一つに、大村市で大きな被害をもたらした2020年の大雨の経験がある。自宅に被害はなかったが、アルバイトで働いたことがある農業施設は、河川の氾濫で商品が流されたりビニールハウスが破壊されたりした。「胸が痛むと言えば簡単だけど、自然を前にどんなことができるのか考えた」
 昨年夏、通っていた通信制高校のサポート校職員に紹介されて同大の体験プログラムに参加し、秋田県五城目町に滞在した。その際、大雨に見舞われ、河川氾濫による被害が発生した。
 被災者の家財道具を運び出すボランティアに参加した。そこで出会ったのが、震災被災地の岩手県大槌町から応援に駆け付けた人たち。「震災のときに助けてもらったから」との言葉に、地域のつながりの重要性を感じた。被災地に関心を寄せるようになった。
 中山さんは「自分の居場所がないように感じていた」と中学2年から不登校だった。転機となったのは、母親と行ったイベントで核兵器廃絶を訴える元高校生平和大使の話を聞いたことだった。若い女性が平和を訴える姿に心を動かされ、「自分もやりたいことを見つけ、自分らしく生きたいと思った」。
 中山さんは被爆4世。同大への進学について父親らを説得する際、「原爆が落とされた長崎は、町が破壊されたという点で被災地と同じ。“ゼロ”から新しい町をつくっている現場で、今しか聞けない話を聞きたい」と訴えたという。
 女川町で1年間滞在した後は、同じ被災地の福島県南相馬市に拠点を移す予定。長崎と被災地が交流できるような取り組みを考えている。「自分はまだ未熟で1人でできることも少ない。いろんな人と出会ってインプットし、自分に何ができるか考えたい」。被災地で学んだことを長崎で役立てるため、新たな生活に意欲を燃やす。