明治、大正、昭和にかけて長崎に暮らす外国人と日本の財界人の国際的な社交場だった「長崎内外倶楽部」が今夏、64年の時を経て復活する。同倶楽部は江戸時代から出島を通じて海外に開かれてきた長崎で「親密で気軽な交流の促進」を目的としつつ、貿易や経済の活性化に寄与した側面も大きい。現代版も地元政財界や各国の大使らが親睦を深め、若手経済人の育成や歴史、文化の継承を目指す。
1899(明治32)年、長崎、横浜、神戸などの特定の区域で外国人の居住や営業を許可した居留地制度が撤廃されたのに伴い、外国人は居留地以外でも経済活動が可能になった。
長崎では幕末-明治期に活躍した英国人貿易商トーマス・グラバーの長男、倉場富三郎(1871~1945年)ら財界人が発起人となり、外国の商人らとの交流を深めようと長崎内外倶楽部を設立。最盛期には200人超の社交場としてにぎわった。しかし戦後の深刻な経済状況で、かつての豪華な晩さん会などを開催する余裕はなく、1962(昭和37)年に解散した。
倶楽部の拠点は1903年、英国人実業家フレデリック・リンガー(1838~1907年)が出島に木造2階建ての擬洋風建物を建築。現在、国指定史跡「出島和蘭商館跡」でレストランや展示室として活用されている。
現代版「長崎内外倶楽部」は、駐長崎ポルトガル名誉領事で長崎商工会議所会頭の森拓二郎氏(71)と、在長崎オランダ名誉領事で同商議所副会頭の嶋崎真英氏(71)の二人が設立代表を務める。旧倶楽部と同じ8月1日に発足させる。
発案は嶋崎氏。商議所の中心メンバーが高齢化しており、もっと若手経済人に活躍してほしいとの思いがあったという。各界とのネットワークづくりや国際交流の場を提供しようと1年ほど前に森氏に提案し、準備を進めてきた。歴史学者や経済人による講演会のほか、海外要人を招くことなどを想定している。
今月22日、商議所の常議員会で設立を承認。商議所内に事務局を設ける。常議員を中心に参加を呼びかけ、ポルトガルやオランダの駐日大使などを名誉会員とする。平田研知事や鈴木史朗長崎市長にも特別会員になってもらい、総勢約50人でのスタートを予定している。森氏は「若手経済人が長崎の発展を考えるきっかけになってほしい」と話す。
昨年12月に「長崎内外倶楽部~歴史と人々」を出版した長崎総合科学大名誉教授のブライアン・バークガフニさん(75)は「『故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る』と言うが、かつて国際貿易や交流を促進した場で若手経済人を育成することは非常に意義がある。彼らが長崎の歴史やポテンシャルに気づき、地域を盛りあげていってほしい」と期待している。
1899(明治32)年、長崎、横浜、神戸などの特定の区域で外国人の居住や営業を許可した居留地制度が撤廃されたのに伴い、外国人は居留地以外でも経済活動が可能になった。
長崎では幕末-明治期に活躍した英国人貿易商トーマス・グラバーの長男、倉場富三郎(1871~1945年)ら財界人が発起人となり、外国の商人らとの交流を深めようと長崎内外倶楽部を設立。最盛期には200人超の社交場としてにぎわった。しかし戦後の深刻な経済状況で、かつての豪華な晩さん会などを開催する余裕はなく、1962(昭和37)年に解散した。
倶楽部の拠点は1903年、英国人実業家フレデリック・リンガー(1838~1907年)が出島に木造2階建ての擬洋風建物を建築。現在、国指定史跡「出島和蘭商館跡」でレストランや展示室として活用されている。
現代版「長崎内外倶楽部」は、駐長崎ポルトガル名誉領事で長崎商工会議所会頭の森拓二郎氏(71)と、在長崎オランダ名誉領事で同商議所副会頭の嶋崎真英氏(71)の二人が設立代表を務める。旧倶楽部と同じ8月1日に発足させる。
発案は嶋崎氏。商議所の中心メンバーが高齢化しており、もっと若手経済人に活躍してほしいとの思いがあったという。各界とのネットワークづくりや国際交流の場を提供しようと1年ほど前に森氏に提案し、準備を進めてきた。歴史学者や経済人による講演会のほか、海外要人を招くことなどを想定している。
今月22日、商議所の常議員会で設立を承認。商議所内に事務局を設ける。常議員を中心に参加を呼びかけ、ポルトガルやオランダの駐日大使などを名誉会員とする。平田研知事や鈴木史朗長崎市長にも特別会員になってもらい、総勢約50人でのスタートを予定している。森氏は「若手経済人が長崎の発展を考えるきっかけになってほしい」と話す。
昨年12月に「長崎内外倶楽部~歴史と人々」を出版した長崎総合科学大名誉教授のブライアン・バークガフニさん(75)は「『故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る』と言うが、かつて国際貿易や交流を促進した場で若手経済人を育成することは非常に意義がある。彼らが長崎の歴史やポテンシャルに気づき、地域を盛りあげていってほしい」と期待している。

