平田五三郎
平田五三郎(86)
平田五三郎さん(86)
入市被爆
=五島市岐宿町=

私の被爆ノート

遠いのに顔焼けるよう

2014年8月28日 掲載
平田五三郎
平田五三郎(86) 平田五三郎さん(86)
入市被爆
=五島市岐宿町=

古里の五島を離れ、香焼にあった川南造船所で徴用工として勤務。17歳だった。機械の型枠を造る作業に従事していた。

あの日も朝から仕事をしていた。空襲警報でも発令されたのか理由は忘れてしまったが、作業員と共に近くの山に逃げていた時だった。突然、辺りがピカッと光ったかと思うと、赤い炎のようなものが遠くに落ちていくのが見えた。「あれは何だろう」。そう思いながら眺めていると、遠く離れているはずなのに、顔が焼けるように熱かったことを覚えている。

翌日、造船所の作業員で救護隊を結成。その一員として浦上方面へ救護活動に向かった。市街地は何が起きたのか分からないほど変わり果てていた。建物はめちゃめちゃに壊れ、路上で布をかぶせられた死体も目にした。

救護活動は竹の久保にあった国民学校にけが人を搬送することが任務だった。生きている人を見つけては、戸板を使って無我夢中で運んだ。そんな中、川沿いでトラックの下敷きになったまま「水をくれ」とうめき声を上げている人を見つけた。しかし、1人ではどうすることもできず立ち去ってしまった。今も胸が痛む。

やっとの思いでけが人を運んでも、救護所となった学校では薬剤を塗るなど簡単な処置しかできていなかった。ある若い女性を搬送した際は、学校に着いた直後、女性は倒れて動かなくなった。亡くなってしまったのか分からないが、思い出したくない記憶の一つだ。

その夜は造船所近くの下宿に帰らず県庁の前で一晩を明かした。それから2、3日後だったと思う。軍関係者を乗せた船が長崎から五島に向かうと聞いた。船に何とか飛び乗ることができた。

五島までは一晩かかった。自宅にたどり着くと、両親や親せきがとても心配していた。出迎えてくれた家族が、涙ぐんで喜んだ姿が今も忘れられない。

<私の願い>

原爆で世界は滅亡してしまうかもしれない。それぞれの国の事情があるのかもしれないが、やはり原爆はこの世からなくすべきだ。恐ろしい兵器であるし、自分自身も本当につらい体験をしたので絶対反対の立場だ。平和な世界にするために、皆が協力して考えていく必要があるのではないか。

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