ピースサイト 2025年ピースサイト関連企画 2025/11/08 戦争の記憶2025ナガサキ 松尾悦子さん(89)=佐世保市天神2丁目= 戦地へ向かう父の姿、今も鮮明に…きょうだい4人帰りを待ち続け 「えっちゃん、行ってくるね。勉強をしなさいよ」。それが耳に残る最後の父の声。当時10歳だった佐世保市天神2丁目の松尾悦子さん(89)は、手を振り戦地へ向かった父、貞雄さん(当時37)の後ろ姿を80年以上が過ぎた今も鮮明 […] 2025/08/16 戦争の記憶2025ナガサキ 松下冨士子さん(92) 潜水艇特攻兵の夫の体験伝えたい 「海龍」出撃前に終戦、没後に手記を出版 島原市高島1丁目の諧句(かいく)作家、松下冨士子さん(92)の夫で、1993年に65歳で死去した富樹さんは、旧日本海軍の特攻潜水艇「海龍」の志願兵だった。冨士子さんは2012年、供養の思いも込め、富樹さんが残した手記「 […] 2025/07/08 戦争の記憶2025ナガサキ 松田常葉さん(99) 引き揚げ船、機雷で沈没…兄との写真は今も大切に 1枚の古びた写真をじっと見詰め、記憶を一つ一つゆっくりとたどっていく。西海市大島町の松田常葉さん(99)は、6歳上だった長兄彪(たける)さんと一緒に納まった写真を手に言葉をつないだ。「戦争で兄を亡くし、上海から鹿児島に […] 2025/05/19 戦争の記憶2025ナガサキ 松田征男さん(84) 生死分けた父、「被爆者」名乗らず 学校、親戚、妹…小さな町にも暗い影 1940年に北松佐々町口石免で生まれ、今に至るまで町を離れて住んだことはない。幼少期を過ごした口石免には戦時中、軍事教練などを目的とした佐々青年学校があった。毎朝、青年たちが行進しながら高らかに歌い上げていた勇ましい軍 […] 2025/05/05 戦争の記憶2025ナガサキ 久村ムツさん(91) 地をはう不気味な「あの音」 8・9、長崎方面が光った直後 90歳を過ぎ、記憶もおぼろげになってきた。それでも、長崎原爆が投下された日に聞いた「あの音」が、今も耳から離れない。 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年。11歳だった。8月9日の午前11時ごろ、東彼川棚町の自宅の […] 2025/03/17 戦争の記憶2025ナガサキ 木谷則治さん(88) 帰還かなわなかった兄…生きた人たちも戦争の犠牲者 終戦後しばらく、今は亡き母、妹と3人で旧北魚目村(現在の新上五島町北魚目)立串郷の港に通い続け、下船する人々の中に兄の姿を探し求めた。だが、出生した兄が帰還するというわずかな望みがかなうことは、ついぞなかった。同町有川 […] 2025/03/17 戦争の記憶2025ナガサキ 森野勝美さん(81) 女手一つで育ててくれた母…戦死の父、悔しさ計り知れず 1943年、旧西有家町の農家に生まれた。まだ幼かったので、終戦前後の記憶はない。 父・茂は農家出身。30歳前後の働き盛りで中国・雲南省に出征し、44年5月23日、同省かビルマ(現ミャンマー)で戦死した。母フミ子は赤ん […] 2025/02/19 戦争の記憶2025ナガサキ 航空写真に映る滑走路 知られざる遺跡、島原に特攻基地 市道付近に痕跡確認 太平洋戦争が終わる間際の1945年、現在の長崎県立島原農業高(島原市下折橋町)付近に、旧海軍の特攻隊基地が置かれていた。今では同校や住宅が建ち並び、痕跡が分かりにくくなっている。今年は戦後80年。郷土史家の研究や関連の […] ▶ 関連企画 原爆・平和に関する特集記事を掲載しています。 ▶ 関連記事 原爆・平和関連の記事を掲載しています。 ▶ 私の被爆ノート 被爆者の高齢化と被爆体験の風化が深刻な問題となっています。1996年から長崎新聞本紙に掲載してきた「忘られぬあの日 私の被爆ノート」を掲載しています。 ▶ TESTIMONIES OF THE ATOMIC BOMB SURVIVORS (「私の被爆ノート」英語版) ▶ 平和への誓い 8月9日の崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和への誓い」を掲載しています。 ▶ ナガサキ・アーカイブ(外部リンク) 長崎原爆の実相を世界につたえる多元的デジタルアーカイブズです。被爆ノートの一部を地図上でもご覧いただけます ▶ ローマ教皇 来崎 2019 2019年11月24日に長崎への訪問されたローマ教皇(法王)。今回の訪問に関する県内の受け入れ準備や核廃絶を巡る人々の期待など長崎新聞に掲載されたニュースを集約。 ← ピースサイトへ戻る ページ上部へ