今月中旬、母校の諫早高で開かれた激励会。あいさつに立った森岡紘一朗は後輩たちをゆっくりと見回した。そして、自ら歩んできた道を振り返るように、語り始めた。 「競歩を始めて6年。正直、五輪は遠い夢だった。しかし、毎日その夢を追い続けて、今やっと現実となった。みんなが持っている将来の夢も、毎日追い続けることができれば、必ず実現するはず。時には苦しかったり、失敗したり、あきらめたくもなると思う。その時はひと休みして、もう一度頑張ってほしい」 2003年、長崎ゆめ総体。諫早高3年で挑んだ五千メートル競歩決勝が、ひとつの出発点だった。トップゴールしながら、歩型違反で警告が三つ。全国優勝を喜んでいた18歳は、ゴール後、失格、順位なしという“どん底”に突き落とされた。 「みんなに申し訳ない」。少年はその夜、眠りにつくことができなかった。深夜、宿舎を抜け出し、周辺を歩いた。競歩を始めてからの1年を思い返した。
迎えた静岡国体、少年男子A五千メートル競歩決勝。レース終盤、森岡はゆめ総体の時のようには、スピードを上げなかった。後ろにはライバルたちが迫ってくる。それでも、一歩一歩、確実に、フォームを崩さないように前へと踏み出した。「差は1秒でもいい。優勝にこだわった」。夏に流した悔し涙は、日本一を手に入れた歓喜の涙に変わった。 順大進学後も、自らのテーマである「速く、美しく」を追求。日本を代表する選手になった。あの失格以来、レースで受けた警告はわずかに一つ。2度の世界選手権出場、ユニバーシアードで2度の銅メダル。そして、五輪切符をつかんだ。 激励会でのあいさつ。森岡はこう続けた。「北京五輪は昔からの夢だったが、これが人生のゴールだとは思っていない。今後の人生の新しいスタートラインとして挑戦したいと思っている」 高く評価されている現在のフォームは、まだ理想形ではない。世界トップとの差はまだあると感じている。夢を目標に、そして現実にしてきた23歳は、新たなスタートの時を心待ちにしている。 (この企画は運動部・城知哲、副島宏城が担当しました) 略歴/もりおか・こういちろう 諫早市出身。長距離ランナーとして西諫早中から諫早高へ進み、2年時に競歩に転向。2003年長崎ゆめ総体は失格処分を受けたが、その秋の静岡国体で優勝。順大進学後は20キロ競歩で世界選手権に2度出場。05年は29位、07年は入賞争いに加わり、11位と健闘した。今春から富士通に所属。北京での目標は8位以内入賞。184センチ、64キロ。23歳。 2008年7月24日長崎新聞掲載
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