19歳で挑んだ2000年シドニーの夏。当時、三菱重工長崎に所属していた杉内俊哉は、予選リーグ初戦の米国戦延長十三回、サヨナラ本塁打を浴びて敗戦投手になった。「悔しい、飛ばしすぎた。あの回は腕が振れなくなっていた…」。あれから、8年。ソフトバンクのエースに成長した左腕は「8年前は一球一球、全力だった。今回はいかに力を抜いて投げられるか」と静かな闘志を燃やしている。 8年前は「試合に出たら常に全力で投げる。全員を三振に取るような強気の投球をしたい」と目標を掲げていた。その“若さ”が裏目に出た。米国戦は松坂(西武−レッドソックス)との同級生リレーだっただけに、余計に力も入った。だが、今は違う。プロ入り後、数々の修羅場を乗り越えてきた自負がある。10代のころと同じ失敗を繰り返す気はない。 鹿児島実高を卒業後、当時、三菱重工長崎の監督だった小島啓民の熱心な勧誘を受けて入部。「高校2年のころから、この子はすごい投手になると確信していた」。小島がそう予言していた通りに、杉内は重工長崎で才能を開花させた。
2002年、ダイエー(現ソフトバンク)に入団。05年は18勝4敗、防御率2・11で、沢村賞をはじめ、投手部門のタイトルを総ナメにした。開幕投手を務めた今季も9勝5敗で防御率2・60。直球と大きなカーブのコンビネーションは円熟味を増してきた。 北京では中継ぎで起用される予定。今季、自身のテーマに掲げている「力を抜く」投球で、どんな場面でもマウンドに上がり、日本の勝利に貢献するつもりだ。 1992年のバルセロナ五輪で銅メダルを獲得し、現在も全日本のコーチを務める小島はエールを送る。「シドニーの借りを返してこい。あれから、成長した姿を世界に見せつけてこい。そして、日の丸をメーンポールに掲げてくれ」。もちろん、そのつもりだ。 略歴/すぎうち・としや 福岡県大野城市出身。大野小6年から本格的に投手を始め、鹿児島実高3年の夏、甲子園でノーヒットノーランを達成した。三菱重工長崎では2年目からエースとして活躍、シドニー五輪に出場した。ダイエー(現ソフトバンク)入団後は、1年目からローテーションの一角を担う。通算成績は63勝33敗。左投げ左打ち。175センチ、82キロ。27歳。 2008年7月23日長崎新聞掲載
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