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インタビュー/バレーボール男子・朝長孝介(28)=堺=

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「今後は地元で指導者を目指したい」と語る朝長孝介=五輪選手村
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力出し切れず悔しい 今後は地元で指導者目指す
【北京=本社運動部・城知哲】1次リーグを5戦全敗の最下位で終えたバレーボール日本男子。16年ぶりに挑んだ五輪の舞台で、これ以上ない屈辱にまみれた。「メダルを取りにいく」と宣言した植田辰哉監督の言葉は、選手たちにどこまで浸透していたのか。力を発揮できなかった要因は何だったのか。日本の司令塔を務めた大村市出身の朝長孝介(堺)に、チーム状態や敗因、朝長自身の今後などについて聞いた。
−今回の結果をどう受け止めているか。
勉強になったと言いたいが、悔しいのが一番。日本は力を出し切れていなかった。言い訳になるが、ボールの規格が変わったのが、サーブレシーブに大きく影響した。対策不足だった。
−スタメン全員が初の五輪だった第1戦のイタリア戦。全員に硬さがあったように見えたが。
硬かった。雰囲気というか、やはり五輪の舞台は、立ってみないと分からないところだった。
−勝負どころだった第3戦の中国戦。完全アウェーという異様な雰囲気の中、第1、2セットを落とした。ここでも、メンタル面の弱さを露呈したようだが。
ホームでばかり試合をさせてもらってきた日本は、得点を決めてもムードを盛り上げられなかった。日本では、決めたら周りが盛り上がってくれた。第3、4セットが取れたのは、中国が悪かっただけ。完敗としか言いようがない。
−次につながる大会になったと思うか。
植田監督になって4年間、食事から練習の方法、量まで大幅に変わった。コツコツ積み重ねてきたものは間違いではなかったと思っている。植田監督でなかったら、絶対にここにはいない。少し前まで、五輪は遠い存在だったが、バレーをやっている子どもたちに、頑張ればやれるということは示せたと思う。
−米国との最終戦。第2セット途中で交代した際に泣いているように見えた。その涙の訳を。
何であんな感じになったのか自分でも分からない。ただ、これで(五輪は)最後かなと思っていたので、そういうところからきたのだと思う。最後までコートに立っていたかった。
−選手人生の集大成と位置づけた五輪が終わった。これからを。
地元に戻って指導者を目指したい。僕の理想は伊藤孝浩先生(大村工高監督)。技術より前に、礼儀とか人との接し方などを一番大切にしたいと思っている。もう一度、伊藤先生の下で一から勉強してみたい。
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最終戦の米国戦後、ミックスゾーンで「お疲れさま」と声を掛けたところ、開口一番「すみませんでした」という言葉が返ってきた。どんなにアタッカーがミスをしても、常にセッターである自分の責任という姿勢を貫いてきた男の生きざまが、そのひと言に凝縮されていた。今回、結果は出なかった。だが、高校時代からの朝長の持ち味である“人柄がにじむトス”は、確かに北京のコートに上がった。
2008年8月21日長崎新聞掲載
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