
「お父さん、見ててくれた」 2区・中村、亡き父親へささぐ熱走
レース後、仲間たちと抱き合って入賞を喜ぶ諫早女子の中村知可子選手(中央)=西京極運動公園
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二十一日、京都市で行われた全国高校駅伝。諫早高の2区中村知可子選手(18)は、2年前に他界した父、敏幸さん(享年56)への思いを胸に、都大路を駆けた。結果は区間6位、そしてチームも8位入賞。力は出し切った。満足もできた。「お父さん、見ててくれた、知可はここまで成長したんだよ」。ずっと父に伝えたかった言葉を、胸を張って言えた。
中村選手が諫早市立真崎小1年の時。敏幸さんは脳の血管を手術後、ほぼ植物状態になった。それから約10年間の闘病生活。父と言葉を交わした記憶はない。ただ、父が元気だったころの思い出はいくつか残っている。ぜんそくの中村選手を気遣い、たばこを吸う時は必ず家の外に出てくれた。家族の時間をつくろうと、何度か旅行にも連れて行ってくれた。父はいつも優しかった。
母・恵津子さん(56)は、そんな夫に、娘が走る姿を見せておきたかった。中村選手が諫早中2、3年時に出場した県下一周駅伝。夫を車いすに乗せ、病院の外に出た。「分かっているかどうかも分からないけど…」。夫婦で沿道から応援したのは、これが最後だった。
中村選手は中学卒業後、駅伝の名門諫早高に進学。その年の十二月二十四日だった。敏幸さんの容体が急変したのは。くしくも、その日は全国高校駅伝当日。控え選手としてレースに付き添った後、京都から急いで諫早市の自宅に戻った。冷たくなった父と対面した。頭が真っ白になった。
だが、頑張り屋の娘は必死で悲しみを力に変えた。「落ち込んでいても前には進まない。走って、いい成績を残して、お父さんを喜ばそう」。松元利弘監督(52)は「お父さんの分まで頑張らんといかんよ」、仲間たちも「諫高は知可子がいないと始まらないんだから」と励ましてくれた。
家族の支えも大きかった。父親代わりとなってくれた兄、恒大さん(20)。仕事、子どもの世話、父の看病を10年間続けた母…。苦しい顔を見せずに接してくれた。大好きな陸上も続けさせてくれた。
「知可の陸上に私の方が助けてもらった」。恵津子さんは看護中、心から笑うことはできなかったが、娘の頑張る姿を見たり、チームの父母らと話をすることで気持ちが和らいだ。忘れられない娘の言葉がある。「お母さん、前を向こう。今は大変だけど、きっといいことが待ってるよ」。いつの間にか強くなっていた娘に、胸が熱くなったこともあった。
この日、恵津子さんは夫の写真をしのばせたバッグを抱え、恒大さんと一緒に沿道から声援を送った。中村選手は息が苦しくなっても、体が重くなっても、懸命に脚を前に進めた。「お父さんのきつい10年間に比べたら我慢できる」。父への思い、支えてくれた人たちへの感謝。自らの走りで恩返しがしたかった。
「知可、よく走ったね」−。父の声が聞こえた気がした。(運動部・黒川美穂子)
2008年12月22日長崎新聞掲載
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