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「失礼な話だが―」。鳴門工高監督の高橋広(50)は振り返る。「長崎で優勝経験もない無名校に、うちの練習が参考になるのかと思った。でも、監督や選手は練習法を盗もう、と貪欲(どんよく)だった。このチームは将来強くなる、と確信めいたものはありましたね」
四国遠征後、部員の目の色が変わった。1メートルの長いバットを使った素振り、1・5キロの鉄棒でゴルフボールを打つ―こうした練習で、腕力に頼らず体の軸と下半身で振り切るスイングを体得した。秋風が吹くころ、飛距離は一気に伸びた。
2003年秋の県大会は破竹の快進撃。決勝で県北の雄、波佐見高に4―3で競り勝ち、創部48年目で初優勝を遂げた。地区予選を含む7試合の総得点は69。甲子園出場を懸けた九州大会は初戦で九州産大九州高(福岡)に3―5で惜敗したが、新鋭清峰の躍進は高校野球ファンに強烈な印象を残した。
このころから、清峰に対する地域住民やOBの視線が変化していった。「以前は服装の乱れが気になり、生徒指導に問題があるのかと心配だった。野球部員はじめ多くの生徒が道であいさつしてくれるようになり、いい学校なんだと思うようになった」(近所の主婦)。「学生時代、制服で佐世保に出ると、気後れしてアーケードの隅っこを歩いていた。今は胸を張ってOBだと言える」(北松南高卒の女性)

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2004年1月、選抜大会「21世紀枠」に漏れ、悔しさをこらえる清峰ナイン
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同年12月。2004年春の第76回選抜大会「21世紀枠」の候補9校に選ばれた、との知らせが届いた。都道府県秋季大会のベスト8進出校のうち、過疎や部員不足など困難な条件を克服し、他校の模範となるチームが対象だ。人口一万四千人の町は沸いた。早々と「祝甲子園初出場」の垂れ幕まで作った。
北松南高野球部OBですし店を経営する横田満久(57)もその一人。「甲子園まで上り詰めて」の願いを込め、ブリ、スズキ、マグロなど出世魚を後輩たちに振る舞った。「天にも昇るような気持ちだった。野球部OBの端くれとして何か力になりたくて」
年が明けて2004年1月30日、最終選考結果発表の日。校長室に詰め掛けた報道陣を前に、校長の川瀬長久は力なく受話器を置いた。「残念ながら本校は選ばれませんでした」
春は来なかった。
(文中敬称略)
2005年7月28日長崎新聞掲載
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