カット
<2>
武者修行へ
  名門の底力にぼうぜん


 「清峰」への校名変更まで1年余に迫っても、有望選手を獲得できる見通しは全くなかった。

 夏の大会を最後に野球部を離れた松原祐樹=現・徳島インディゴソックス=は、恩師の苦境を見かねていた。当時、弟の大樹(18)は佐世保市立中里中3番遊撃の主将で、県北では名の知れたスラッガー。「北松南に行けよ。監督はいいぞ。コーチの野球理論はすごいから」。祐樹の説得に大樹の答えはにべもなかった。「絶対嫌だ。あんな弱いチーム」

 「また来てる」。大樹はいささか閉口していた。大樹が出場する試合の会場には必ず、北松南監督・吉田洸二の姿があった。やがて心が動いた。「この人に賭けてみるか」。うわさは瞬く間に広まった。「松原が北松南に行くぞ。おれたちも行こうか」。2002年春、生月中のエース末永光、相浦中の強打者野本陽、納富伸弘らが北松南最後の新入生として顔を合わせた。「まるで県北地区のオールスターだった」。大樹は振り返る。

2003年の全国高校野球選手権長崎大会1回戦
2003年7月の全国高校野球選手権長崎大会1回戦、清峰は鎮西学院を相手に改称後初勝利を飾った
 秘めた実力はあってもしょせん1年生。その夏の1回戦、公式戦未勝利の中五島に5―7で敗れた。「61校中、一番弱いんじゃないか」。吉田とコーチの清水央彦は苦悶した。清峰のユニホームで臨んだ翌年夏は、3回戦で長崎日大に完封負けした。

 指導に行き詰まった吉田らに、再び救いの手が差し伸べられた。2003年8月、佐世保商高時代の恩師で県高野連前理事長・中平勝利(60)が口をきき、前年選抜準Vの鳴門工(徳島)との合同練習が実現した。

 弱小校に遠征費用はない。地元の自動車学校から廃車寸前のバスを無償で譲り受け、吉田がハンドルを握って約12時間の長旅。「甲子園の常連がどんなものか見てやろうぜ」。半ば修学旅行気分で出掛けたナインだったが、グラウンドに立ち声をなくした。

 「食うか食われるか、チーム内競争があった」(現主将・大石剛志)。1メートルの長いバットを苦もなくフルスイング、打球ははるかかなたへ飛んでいく。「やってみたら」。勧められてスイングしたが飛距離は足元にも及ばない。一投一打にみなぎる緊張感。「これが名門の底力なのか」。ぼうぜんと立ち尽くす清峰ナインを横目に、吉田は笑みをかみ殺していた。

 「狙い通りだ」
 (文中敬称略)

2005年7月27日長崎新聞掲載