島原商高サッカー部

2003年7月5日長崎新聞掲載


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 災害乗り越え たくましく
 高校サッカーの名門、島原商が長崎ゆめ総体で19年ぶりに全国大会の舞台に立つ。ゆめ総体出場を決めた県高総体の決勝進出チーム決定戦は、全員が気迫でボールを追い続ける「走る島商」の伝統を体現し、個々の技術が高い海星に3―1で快勝した。「感動した。ようやったね…」。OBで赴任14年目の高橋精一郎監督(50)の目の奥に涙が光っていた。

 島原商は全国高校選手権23度の出場を誇り、1977年に全国高校総体、84年度には悲願の同選手権を制した。しかし、名将の呼び声高い小嶺忠敏監督が84年春、国見に異動すると「覇権」は同校に移り、島原商は20年近くも全国の舞台から遠ざかった。

 名門の「長過ぎる冬」。だが、地元開催のゆめ総体が復活の転機になった。GK園田洋平(3年)は「入学した時から、地元だから島商が出るしかないと思っていた」。中学の強豪島原一中で活躍した有力選手も続々と入学。高橋監督と顧問の立山秀昭教諭(29)は2年前から、交代でマイクロバスのハンドルを握って関東、広島、九州各地へ遠征に出掛け、試合経験を積ませた。

松尾あすか
県高総体で準優勝した島原商。伝統の「走るサッカー」でゆめ総体に臨む=島原市営陸上競技場
 さらに今年に入り、Jリーグの広島ユース出身の犬飼敬三さん(25)が練習に参加。広島で島原商OBの小林伸二・現大分トリニータ監督の指導を受けた若いコーチは「小林先生から学んだ根性と情熱を伝える」とチームに「厳しさ」をたたき込み、練習でも生きた手本となった。

 練習は早朝と放課後の計4時間半。週末は遠征の「サッカー漬け」の日々。生徒会長を務めるDF藤本淳平(3年)は「練習はきつかったが、監督やコーチのおかげで伝統の走り負けないサッカーができるようになった」と白い歯を見せる。

 選手全員が島原半島の出身。90年から6年間にわたる雲仙・普賢岳噴火災害を経験した「復興の子」たちだ。DF安部忍(2年)は、公民館へ一家で避難したことや、山が溶岩を噴き上げるさまを幼い記憶にとどめる。「ゆめ総体は、最後まであきらめず粘り強くやる」と、災害の中で育ったたくましさを見せようと胸に誓う。

 噴火災害真っただ中の92年当時、主将を務めた高橋剛さん(28)は今、後輩たちにこんな夢を託す。「あのころはグラウンドに灰が降り積もり、火砕流の警報も鳴って、今思えば十分な練習ができなかった。がむしゃらにボールに食らい付く島商のサッカーを、最高の舞台で見せてほしい」