全国高校総合体育大会(インターハイ=長崎ゆめ総体)開幕まで、いよいよ1カ月を切り、2日には競技別の組み合わせ抽選会も始まった。全28競技に出場する本県選手団は約900人(競泳は7月下旬に決定)。その一人ひとりが、周囲の期待など数々のプレッシャーを背負いながら、晴れの出場権を勝ち取った精鋭たちだ。これまで繰り返してきた苦しい練習、味わった挫折、涙…。今、万感の思いを胸に“ゆめ舞台”に立とうとする監督、選手らを紹介する。(ゆめ総体取材班)
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・聖和高バドミントン部監督
安楽照夫(34)
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2003年7月3日長崎新聞掲載
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7年前、安楽照夫が聖和バドミントン部の監督に就任したころは「インターハイなんて、違う次元の話。頭の中に一パーセントもなかった」。自分自身がバドミントンの素人、選手もごく普通の生徒たち…。「あのころから考えれば、まさかのインターハイですね」
鹿児島県沖永良部島出身。中学から体操を始め、鹿児島実高でインターハイを経験。鹿屋体大時代も、西日本インカレなどで上位入賞を続けた。聖和へ体育教師として赴任した時も、最初は当然のように体操部のコーチを任されていた。
赴任してから3年後、体操部の部員減少などもあり、学校側から「良かったらほかのクラブを持ってみないか」という打診があった。決して本意ではなかったが、「特に断る気もなかった。第一にバドミントンにはまるつもりがなかった」。
当然、就任1、2年目は、県大会で結果を残すレベルではなかった。「ピアノ」「塾」などの理由で頻繁に練習を休む生徒たち。ただ、試合に負けたら悔し涙だけは流す。「負けるべくして負けたのに泣く。だったら練習しようよ」。自身を「負けず嫌い」と評する安楽にとって、うわべの涙は許せなかった。

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バドミントン未経験者から、7年でインターハイ出場権を獲得した聖和高の安楽照夫監督=佐世保市、聖和高体育館
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3年目からは選手を募集した。練習の密度、時間も変えた。真夏の炎天下、1周約200メートルのグラウンドを50周するメニューも加えた。安楽自身も必死だった。地元、清水中の正岡弘泰コーチをはじめ、他校への遠征を重ねて「盗んでは実行」。指導力を高めた。チームは徐々に戦う集団に成長していった。
2年前、その清水中から、田中、岡ら中学時代の県準Vメンバーがそろって入部。インターハイが視野に入ってきた。選手を送り込んだ正岡は「安楽先生はとにかく熱心。最初は何も知らないなと思っていたが、何事にも恥も外聞もなく踏み込んできた。この先生ならと信頼できた」。
ゆめ総体切符を懸けた県高総体団体戦は、優勝こそ逃したが、2位で初の代表権を獲得した。試合後、歓喜の表情で安楽を取り囲んだ選手たち。「言葉が出なかった。おめでとうとしか言えなかった」。人前でポーズをとることを嫌う男が、泣いた。選手たちの目にも、真剣に取り組んできた人間が流せる“真の涙”があふれていた。
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